東京大学読書サークルこだま 公式ブログ

東京大学読書サークルこだまの公式ブログです。部誌『こだま』に掲載している文章などを公開していく予定です。

『こだま』卒業号 目次

こんにちは、読書サークルこだまです。日ごとに春らしくなり、桜の咲き誇る姿を各地で見かけるようになりましたが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。

さて、今回の部誌のタイトルは「卒業号」です。実は、読書サークルこだまとして定期的に文章をブログに載せる活動は今回でいったん終了することになりました。とはいえ、今後も不定期での文章の公開は行う予定なので、今回が最後というわけではありませんが、ここで一区切りをつけるという形になります。

「卒業号」ということもあり、今回の文章はいずれも節目の時期にふさわしいものが揃っています。また、部員が今号のために作った短歌一首も下記に添えてあります。
どうぞご覧ください。


○目次

こだまの一年間の振り返り

山下純平

https://kodama-echo-reading.hatenablog.com/entry/2021/03/31/122253

 

共感/非共感を超えて

大島一貴

https://kodama-echo-reading.hatenablog.com/entry/2021/03/31/122438

 

短歌

伏春灯

雷神の少し響みてさし曇り雨もふらぬか君を留めむ

 

東京大学読書サークルこだま

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共感/非共感を超えて

作者:大島一貴

 小説を読むとき、映画を観るとき、その他どんなコンテンツでもいいのだけれど、良質な作品の感想を求められたとき、私たちの口からは「○○に共感できて面白かった」というような言葉が出てきやすい。

 そもそも作り手が客の感情移入を企図している場合も多いのだから、それも当然かもしれない。けれども、「共感」の有無をベースに作品を捉えるだけでなく、いわば非共感的な享受の仕方をしてみることで広がる世界もあるはずだ——筆者が文学部で二年間学んできたことのコンセプトを一言にまとめるとすれば、それに尽きるだろう。

    もちろん共感は、他者と関わるときなどの重要なファクターである。しかしそれがすべてではない。「理解はできないが、共感はできる」。「共感はできないが、理解はできる」。とりわけ人々の分断が叫ばれる現代にあって、全肯定でも全否定でもなく、この二つの態度を使い分けることで対話の可能性は開けてくるはずだ……などと言うと、風呂敷を広げすぎだろうか。

 さて、共感は相手の像に自己を同一化しようとすることから始まる。他者の物語に、自分の物語を重ねること、あるいはその逆。宇佐見りん『推し、燃ゆ』の主人公も、「推し」に対してそのような同一化の欲望を抱き、しかも潜在していたそれが徐々に現れる人物として描かれている。

 作品の一行目は、「推しが燃えた。ファンを殴ったらしい。」と始まる。じつは作中、「推し」という言葉のニュアンスは明瞭に説明されることがないのだが(それが結果的に、特に言語化せずとも「なんとなく使える」マジックワードとして人口に膾炙している現状をうまく表してもいる)、この主人公は「推し」に関してファナティックな態度をとらないし、まして一線を越えたいとも思わない。彼女はあくまで有象無象のファンのひとりとして、隔たりを保ったまま愛を送りたいのだ。だから「推し」を「解釈」し、それをネット上の同志へとブログで発信する。あくまで解釈する側に立つのであって、決して共感も同一化も求めない。

 ところが話が進み、主人公や「推し」を取り巻く状況が厳しくなっていくにつれ、「推し」への精神的な同一化、および身体的な同一化を求める様子が見られるようになるのだ。

 そのこと自体の是非は問うまい。ただ、蓋し重要なのは、共感と非共感、距離をゼロにする同一化と距離を取る差異化とのあいだを揺れ動けるだけの余白を作っておくことだ。単一の立場にとどまらずに絶えず距離を操作する、その自由こそを私は人文的な知性と呼びたい。

こだまの一年間の振り返り

作者:山下 純平

僕たち読書サークルこだまが部誌作りとして文章を公開し始めてから、そろそろ一年が経過します。そこで、この一年間にブログで発表した文章を、僕の主観も交えながら振り返っていきます。


『こだま』創刊号

創刊号のテーマは「旅」。何らかの意味で旅に関わる文章を皆で執筆しました。書評が充実しているので、一つ一つを簡単に紹介します。


村上めぐみ「溶け合う ―川端康成『伊豆の踊子』を読んで―」

さまざまな水の描写が美しく、その全てがやわらかく溶け合っていること。主人公が旅を通して旅芸人の一行と交流を深め人間の温かさに触れたこと。この二つが「溶け合う」という点において重なり合っているというのは、的確な視点です。思わず『伊豆の踊子』を読みたくなる・読み返したくなるような文章です。

 

大島一貴「旅としての小説」

家屋に個室が存在しなかった当時の日本にあって、旅というものが一種の"個室"をつくり出す装置として機能していたという見方を提示しています。この観点を踏まえた上で、主人公の西洋画家が俗世を逃れるべく旅に出る、夏目漱石草枕』を概観しています。


山下純平「人間の根源を問うこと ―ゴーギャン・夏目漱石の紹介」
旅に満ちたゴーギャンの生涯と彼の画業を概観しています。彼が西洋の文明を超えて、根源的な何かを捉えようとしていたことを指摘しています。

続いて、夏目漱石『行人』を取り上げています。学究肌の一郎は家庭で孤立していましたが、旧友に誘われて旅に出かけた先ではじめて自らの苦悩と孤独を打ち明けるという作品です。この作品でもやはり、旅は重要な役割を担っているようです。


『こだま』2号

共通のテーマを定めずに作った号。梅雨の湿り気やコロナ禍の不安といった当時の憂うつな空気が漂っている文章がいくつか見受けられます。

ここで紹介したいのは、「底の方から」という題のエッセイ。綺麗な言葉で濃やかな描写をするという姿勢は健在ですが、どこか不吉な予感に覆われたような雰囲気で、作者の他の文章(例えば創刊号の「夢日記」)と比べても異彩を放っている、注目すべき文章です。

kodama-echo-reading.hatenablog.com


『こだま』3号

この号のテーマは「偶然」。このテーマを提案した部員が、一人で三つの文章を寄稿していたことが印象的です。

一つ目は、テーマ解説である「『こだま』三号に寄せて」。人生で起こる様々な偶然の出来事を、自身にとっての必然として受け入れていく過程で、物語を作るという営みが大きな役割を果たすことを洞察しています。

二つ目は、書評「二〇二〇年の「観光客」として」で、東浩紀『弱いつながり 検索ワードを探す旅』を取り上げています。未知の世界との出会いをもたらすものは、インターネット上の検索ではなく旅先での偶然の出来事であるということが強調されています。
なお、この文章を告知するこだまのツイートは、著者の東浩紀氏本人のアカウントからリツイートをしていただくという思いがけない「偶然」に恵まれました。

kodama-echo-reading.hatenablog.com

三つ目は、創作歌詞「夢一夜(仮)」。文芸系のサークルで、自分の創作した歌詞を紹介するというのは確かに偶然の出会いをもたらす営みです。


号外

以上の三回以外にも、号外という枠で文章を少しずつ公開しています。五月に二つ、十二月に二つの文章を載せています。他の部誌と同様、ジャンルは小説からエッセイまでさまざまです。

ここでは、十二月の号外に載っている、一つの文章を紹介します。

「馬鹿げた冬    冬眠をしない猿人類と冬眠をする哺乳類」(作者:伏春灯)

小説の一断片といった印象で、まだまだ文章を深化させる余地はあるように感じますが、この小説の背後にある世界観には不思議と心惹かれるところがあります。文明の果てにあるもう一つの世界というような、どこかシュルレアリスムの画家であるサルバドール・ダリの代表作の一つ《記憶の固執》にも通ずるような雰囲気が感じられます。やはり不思議な文章です。


まとめ

以上、2020年度にこだまのブログで公開した文章を簡単に振り返ってみました。紙幅の関係上、全ての文章を抜粋することはできず、複数の号に寄稿している部員の一部の文章のみを紹介してきました。こだまのブログには他にも様々な文章が並んでいますので、気になるものがあれば是非読んでみて下さい。

さて、今年度の部誌はどうなるのか、まだわからないことも多いですが、ほそぼそと活動を続けられたらと思っています。もしまたこだまの文章を見かけた際は、気ままに部員たちの文章を読んでみていただけたらうれしいです。

馬鹿げた冬    冬眠をしない猿人類と冬眠をする哺乳類

作者:伏春灯

12月初旬
 ああ、寒すぎる。ベットから出たくない。しかし生理欲求には勝てない。トイレにいかなければシーツの洗濯が必要になる。シーツかトイレかの選択ということか......。

    しゅうしゅうと、謎の音。なにかの液体が太ももにあたる不快な感覚。奥の方から漂う謎の強烈な冷気。どうしてトイレの水が凍ってる?とりあえず水を流そう。多分大変恐ろしいことになるけど全て水に流してシャワーでも浴びて身体を綺麗にしよう。

 洗面所が異常に寒い。私の理性は一刻も早く汚れた身体を綺麗にしたいと言う。賛成だ。服を脱ぐ。風呂場に入る。とてつもなく寒い。震えながら蛇口を捻り湯を浴びる。浴びる?何も出てこない。水でも何でもいいから出てきてほしい。蛇口を365度ぐらい捻る。何も出てこない。私はもう耐えられず下着と上着だけ取り替えて風呂場から出る。

 暖を取るために部屋にある全ての上着を羽織る。それでもやや寒い。エアコンのリモコンはどこ?探してる間に睡魔が蘇る。そうだった、まだ夜も更けていなかった.....


 風が窓を叩きつける音で目を覚ます。私はテーブルの下で寝ていたらしい。目の前にエアコンのリモコンが置かれている。

 ドアが開く音がした。「あ、起きてたんだ、」夜勤が終わったばかりのCの奴と目が合う。「こんなに寒いとそりゃ目が覚めるしトイレをすれば身体を汚すしシャワーを浴びれば水さえ出てこない」「なるほど。」私たちは身体を温めるためにも朝食を取ることにした。Cの奴は夜勤で疲れているだろうし私が朝食を作る。めんどうだからおかゆあじポンと生卵で誤魔化す。

 「そういえばさ」Cの奴は眠そうな目でこちらを見る。「どうして我々人間は冬眠をしてはいけないんだろうね?」私はCの奴が何を意図しているかさっぱり検討がつかなかった。

 「それで?」私はCの奴に聞く。「つまりだね?我々は一度くらいはさ、冬眠してみてもいいんじゃないかな。」私は奴がからかっているのかと思った。「正気か?」「正気だよ、だってこんなに寒いんだからね」

 


 昼頃になると、Cの奴が早速冬眠の準備に取り掛かった。勿論私も付き合わせられた。

「まずはこのパインニードルを腹一杯食べることだ」こんなチクチクしてる、良く分からない食べ物を?冬眠の伝統とはまずパインニードルを食べる事から始まるらしい。

「次に庭の干し草をすべて伐採して部屋に敷き詰めるよ。」
どうして伝統的冬眠と言うのはこんなにチクチクしたものだらけなのだろう?Cの奴は誰かに電話しているようだった。

「何をしている?」私は聞く。「連絡だよ。家族とか友達とかにね。君も冬眠の邪魔をされたくないだろう?」「なら私はガス会社や水道会社、電気会社に連絡をしよう。」私たちの冬眠の準備は着々と進んでいた。


    太陽も真上に上ったというのに、気温は上がる気配すらしない。私はこれ以上寒くなる前にもう寝たかった。冬なんて何より大嫌いなのだ。

「もうそろそろ頃合いだろう。」私は部屋中に干し草を敷き詰めながらCの奴に言う。「確かにそろそろかもしれないね。自分もこれ以上寒くなる前に寝てしまいたいからね。」

こんな奴ともこの寒さに関しては気が合うようだった。


    もうそろそろ太陽が暮れる頃だった。「では私はもう寝ることにする。私は春までこの寒さから逃げることに決めた。」私は冬眠とは一体何なのか分からない不安は勿論あったがそれ以上にこの寒さが嫌だった。

  「そうだね、じゃあまた春になったら会おう。おやすみなさい。」私の意識は段々と遠のいていった。

エッセイ 自分と文学との関わりを振り返る

作者:山下純平 

 

はじめに  ― 1人の読者の声を踏まえて―

    こだまの読者の一人から、次のような意見を頂きました。「文学らしい文章を発表するのもいいけど、部員一人ひとりがどういう人間なのかが伝わってくる文章を読んでみたい」という意見です。それを聞いて確かにその通りだと思ったので、自分と文学との関わりや文学について最近考えていることを少し紹介してみようと思います。


僕の文学遍歴  ―文学好きとの出会いと、やがて自身が文学好きとなったこと―

    僕は中高の頃は文学をほとんど読んでおらず、そもそも国語よりは数学の方に傾倒していました。ですが、当時関わりの多かった同級生に文学好きがいて、自然と文学の話を耳にしていました。文学好きのこだわりの強さに多少閉口しながらも、文学好きの思考の奥深さのようなものをそれとなく感じて、文学というものに対し漠然とした畏敬の念を抱いていました。


    大学に入ってからは、大学生活の目標が見つからないまま漫然と日々を過ごしていました。多少は読書をしているものの文学はほとんど読まないという生活が続いていました。

    大学二年の中頃に、物理を専門とする文学好きの友人と話をするようになり、彼が語った芥川龍之介の生涯の話に感銘を受けました。それ以来、芥川龍之介の小説を読むようになり、他の作家の作品も読み進めるようになりました。

    一度目の大学三年は、自分で文章を書く機会は少なく、日本近代文学を中心に読書をすることが主でした。夏休みにふとしたきっかけで読んだ宮沢賢治の作品に感動し、それ以来宮沢賢治の作品を読み進めて愛好するようになりました。ちなみにこだまに入部したのは冬頃で、国文の友人に声を掛けてもらったことがきっかけです。

    自主留年をして迎えた二度目の大学三年では、少しずつ自分の文章を公開する機会が増えました。文豪たちに憧れるあまり自分も小説家になってみたいと切望するようになっていて、作家気取りで文章を書いていきました。こだまでは、エッセイやら鑑賞文やら小説やら、色んな文章を試してみました。

    現在は、もはや小説家になりたいという思いは色褪せてきています。大学の授業を除くと、そもそも文学を読むことも文章を書くことも少なくなっていますが、今でも文学というものは自分にとって得体の知れない深遠な存在であり続けています。


自分なりの読み方の発見  ―"夏目漱石らしさ"を脳内につくり出すこと―

    近代の文学作品を読み進めていくうちに、ある特徴的な読み方をするようになりました。作家の人間としての姿を浮かび上がらせるような読み方です。その際、一人の作家の作品を読み進めて各作品に共通する表現を見つけるという方法を取っています。これは、専門である国文学の読み方とは異なるものですが、いつもついこの読み方をしてしまいます。

    少し長くなりますが、具体例を紹介します。例えば夏目漱石の作品を読んでいると、「剃刀」という語の前にはたいてい「西洋の」という修飾語が付されていることに気づきます。それも、文脈上は別に西洋が何も関係ないような場面でも、やはり「西洋の剃刀」という表現になっているのです。この現象について、一見何でもないことのようですが、夏目漱石の生涯を参照すると意義深いことのように思われます。

    かなり大雑把にまとめると、漱石は小さい頃から漢文に馴れ親しんでいたのですが、文明開化の時代にあって大学では英文学を専攻します。成績優秀で、後には官費によってイギリスに留学することになりますが、現地で重度の神経衰弱を患います。日本に帰国した後、高浜虚子のすすめで療養のために執筆し始めた『吾輩は猫である』が話題になり、これを機に専業作家への道を進んでいきます。

    こうした夏目漱石の生涯を踏まえると、「西洋の剃刀」という表現は単なる偶然とは思えません。東洋の文化のもとに育ちながら西洋の文学を志向し途中で挫折を経験した漱石という人物と、「西洋の剃刀」という表現とは、互いに響き合っているように思われます。漱石にとって、西洋の文明はまさに剃刀であり、便利ではあるが自他をひどく傷つける代物であっただろう、漱石はその危険を身をもって感じたことだろうと察せられます。だとすれば、「西洋の剃刀」という何気ない表現には夏目漱石らしさが表れていることになり、この表現は夏目漱石という人物像を脳内に構築する上で大いに参考になります。

    このような具合で、複数の作品の共通点から一人の作家の人間像を浮かび上がらせることは、主観的な営みではありますが、そこに楽しみを感じ、様々な作家で試みるようになっています。例えば、芥川龍之介の小説においてしばしば見られる「その全てを話していては、いつになっても話が終わらない。そのごく一部をかいつまんでお話すると、…」というような前置きは、彼の脳内が多彩な考えで満ちていたことをうかがわせる点で芥川龍之介らしい表現です。太宰治の小説の「神妙らしく」「鹿爪らしく」「もっともらしい顔をして」といった副詞の多用は、道化を思い起こさせる点で太宰治らしい表現ですし、彼の小説において服装や表情や動作の描写が多いことは、彼が他者の視線を過分に意識していた人間であったことに通ずるものです。宮沢賢治の童話の「ほんとうの」「まっすぐな」という副詞は、とてもよく似合っている宮沢賢治らしい言葉です。……こういう具合で、僕の勘違いやら思い込みやらも含めて、その作家らしい表現を見つけて、その作家の人物像を形作っていくという読み方を夢中になって行うようになりました。


挫折を経て  ―書物から人間へ―

    以上のように、複数の作品を通して作家らしさを感じ取る読み方をしていて気づいたのは、一人の作家の作品群には数知れないほどたくさんの秩序が広がっているということです。作品を読んでいくにつれて、前に読んだ作品と共通する表現が思いがけず浮かび上がり、息をのむという経験が何度もありました。そうして、一人の作家の作品群の中に豊かで高度な秩序が存在し、広々とした世界が広がっていることを感じるようになりました。

    このことは、大学前半まであまり文学を読むことのなかった僕にとって、衝撃的なものでした。僕がこれまで顧みることのなかった文学という領域には、こんなにも豊かな世界が広がっているのかと驚きました。そして、今まで文学に触れてこなかったことを悔いると共に、今後は文学の世界をどんどん探検しようと思いました。

    文学を読み進めて一人ひとりの作家の世界に浸るということを続けているうちに、やがて自分も小説家になってみたいと望むようになりました。文学の世界に広がる豊かな高度な秩序は、ここにしかないものだ。自分もいつかは豊かな世界をつくり出す側に回ってみたいものだ。それは文学作品を書くことによって実現されるに違いない。そういう思いが徐々に膨らんでいきました。

    そういう考えを経て、自ら文章を書いてみて小説家の真似事をしたり、小説についてもっともらしく語ったりするようになっていきました。ただ、文章を書くことについては、当初思い描いていたような小説を書くことは叶わないままでした。周囲からの反応も、周縁的な事柄についての感想がちらほら見受けられるくらいで、少し興醒めした気分でいました。


    こうしたぼんやりとした挫折を味わいながら、日常生活を送っていて気づくことがありました。僕は文学作品を読むことを通して、作家の各作品に共通する語彙やあらすじや描写や印象などに目を向けてその深遠さに驚いていましたが、文学を潜り抜けてきた視点で日常の世界を眺めると、これはこれで様々な秩序が眼前に展開しているらしいのです。例えば身近な人々の様子を見ても、その表情や声の調子や、発言の内容や口癖や、背後にある問題関心や価値観や気質など、様々な視点から観察し、その都度何か新たに小さな秩序を発見しては興味深いと思うようになりました。一人の人間の中には、無数の秩序がそなわっていて、そこには奥深い世界が広がっているという感想を抱きました。これはどうも僕が文学作品を読んでいる時のよろこびに近いらしいということにも気づきました。

    ちなみに、アフリカには、「ひとりの老人が死ぬことは、ひとつの図書館が燃えてなくなることと同じだ」ということわざがあるそうです。お年寄りの知恵や経験の豊かさを表した言葉であり、味わい深いと感じると同時に、お年寄りのみならず一人ひとりの人間の脳内は一つの図書館に相当するほど奥が深いものだろうと思います。

    また、ニーチェの言葉に「人間は書物よりもはるかに注目に値する」というものがあるようですが、息を吸って味わいたいような言葉だと感じます。

    このような過程を経て、当初僕が文学ならではの奥深さだと思い込んでいたものは、必ずしも文学だけのものではなく、実は一人ひとりの人間の中に備わっているものだと思うようになりました。文学作品には確かに高度で豊かで深遠な世界が広がっているけれど、これは結局のところ一人ひとりの内面に広がる大きな世界そのものを表すのだろう。文学の偉大さは、人間の偉大さに他ならない。こういう考えを自ずと抱くようになりました。

    結局、僕は小説家になることはおろか、ちゃんとした文章を書くこともできないまま今に至っています。文学に夢中になったあの日々は一体何だったんだろうと不思議に思うこともある一方で、文学を読むことが明確な何かにつながらなくてもいいんだ、それで何も問題ないんだと開き直る気持ちもあります。僕の目の前の世界には、無数の小さな秩序で溢れていて、豊かな世界を形作っている。そのことに気付かせてくれたのは、やはり文学という存在だ。文学こそが、自分の好奇心に満ちたきめ細やかな視点を育ててくれて、以前だったら見落としていたような些細な秩序にも目を向けることができ、ささやかな美しさをも愛おしむようになっている。文学を経験したことは、いまの自分の人生を確実に豊かなものにしてくれている。これこそが、自分が文学を読むことを通して得ていた大きな財産だと、自信を持って思うようになっています。

 

おわりに  ―自分の中の”文学”を育てていくこと―

    思いのほか話が長くなってしまいました。以上はあくまでも僕一人の経験にすぎず、皆さまの文学の読み方や文学との関わり方を制約するものではありません。読者の一人ひとりが様々な文学と出会うことを通して、自分の中の”文学”を少しずつ育てていく過程こそが大事なものだと思っています。それは、実際に文学作品につながることもあれば、友人との会話の中でのみ発現するものであったり、はたまた自分の脳内の考えや感情であったり様々な形が考えられますが、やはり一人ひとりが自分なりの”文学”を持っているのだろうと考えています。人の数だけ”文学”の数があると思っています。

    末筆ながら、これまでの僕の話が、皆さま自身の”文学”にとって多少とも参考になるところがあれば幸いです。

『こだま』3号を公開します

こんにちは、読書サークルこだまです。お彼岸が過ぎて、少しずつ涼しい気候になってきましたが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。

さて、夏休みの間の活動成果として、『こだま』3号が完成しました。今回は、「偶然」という一つのテーマを念頭に置きながら、各自が自由に文章を執筆しています。特に、創作の方には三人の部員が文章を寄せていて、エッセイや小説から歌詞まで、それぞれの個性がきらめいています。

お好きなものから、ぜひ読んでみてください。

 

○目次

はじめに(今回のテーマ「偶然」について)

『こだま』三号に寄せて

大島一貴

https://kodama-echo-reading.hatenablog.com/entry/2020/09/27/110738

 

本編

書評

二〇二〇年の「観光客」として

大島一貴

https://kodama-echo-reading.hatenablog.com/entry/2020/09/27/111047

 

創作

夢一夜(仮)

大島一貴

https://kodama-echo-reading.hatenablog.com/entry/2020/09/27/110917

 

帰納的人生讃歌

村上めぐみ

https://kodama-echo-reading.hatenablog.com/entry/2020/09/27/111143

 

キャッチボール

山下純平

https://kodama-echo-reading.hatenablog.com/entry/2020/09/27/111247

 

○アンケート

こだまでは、読者の皆さまからの感想を随時募集しております。『こだま』3号の文章を読んで感想を伝えたいという方がいましたら、こちらのgoogleフォームに自由に感想をご記入ください。よろしくお願いします。

https://forms.gle/f4EsEaWD7Lka1Gb98

 

東京大学読書サークルこだま

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キャッチボール

一.

僕たちはいつもキャッチボールをしていた。僕が彼と会った時には、どちらから言い出すともなく、公園に行ってキャッチボールをして遊んでいた。ゆっくりとボールを投げてゆっくりとボールが返ってくる、のんびりとしたキャッチボールが好きだった。少し単調で物足りないくらいだったが、二人はいつもキャッチボールをしていた。


その日も、いつもの公園で待ち合わせをした。家の玄関を出て公園の入り口に着いて辺りを見渡すと、短く刈り込みをした草地の上に、彼の姿が見当たった。そういえば、いつも彼の方が先に着いていて、僕が後からやってきていた。彼に向かって手を振り、彼の元に駆けていった。二三言やりとりをした後は、それぞれグローブを身につけ、適度な距離に離れ、キャッチボールを始めた。


いつもの通り、第一投は彼の方からだった。彼の放ったボールはゆるやかな円弧を描き、僕のグローブに吸い込まれるように進んでいき、僕のグローブに収まる。わずかな手のしびれと手応えを感じながら、僕も負けずとボールを投げ返す。やはりボールはなだらかな円弧に沿うようにして進み、彼のグローブに収まる。グローブがボールを収める時の爽やかな音が、彼の周りに軽く響き渡っていた。


何度かボールの往復をした後、ふと僕の投げたボールが横へ逸れてしまった。投げ終えた瞬間に、「ああ、しまった」と思った。彼の左側の草地に転がっていくボールを目で捉えながら、彼は軽やかに走っていき、ボールを拾い上げた。そしてその位置から、僕に向かってボールを投げ返した。力強い送球だった。その間、軽快な足取りで彼は元の位置に戻っていった。


その後も今まで通りにキャッチボールを続けた。ゆっくりとボールを投げては、ゆっくりとボールが返ってきていた。時にはいつもよりスピードの速い球が飛んできたり、こちらのボールが空高くに飛んでいったりといった、ささやかな変化があった。単調ではあるが退屈ではなく、うっすらとした幸福感に包まれながらキャッチボールを続けていた。

 


ふと、僕は空を見上げた。もう日が暮れかかっていて、どろりとした大きな夕焼けが見られた。その輪郭が空に溶け込むようで、まぼろしを見ているようだった。僕が夕焼けに見とれているうちに、彼からのボールが返ってきていた。僕のグローブの辺りに投げられた球であり、グローブに届く直前に気が付いたが、取りこぼしてしまった。ボールが草地の上でわずかに転がり、静止する。僕は「ごめんごめん」と恥ずかしそうに言いながら、足元のボールを拾い上げ、投げ返そうとして彼の方を見やると、どういうわけか、彼の周囲には霧が立ちこめていた。濃淡のある細かい霧が一帯に広がっていて、彼がどこにいるのか見て取ることができなかった。「おーい」と叫んでみたものの、返事はない。それにしても、僕がボールを拾っているほんの一瞬の間に、どのようにして霧が生じたのだろう。あまりに不思議な出来事だったので、しばらくの間は呆然としていた。


やがて、霧はますます深まっていき、僕の周囲にも霧が漂うようになった。辺りは杉林の中のようにしんとしていて、霧が地面の方から立ちのぼっていく。不安を覚えながら息を吸うと、霧を含んだ冷たい空気が体に吸い込まれていく。僕はもう一度、さっきより大きな声で「おーい」と叫んだが、やはり返事は返ってこない。不気味なほどの静寂が辺り一帯を支配している。僕はこの時、彼に対する強い心配の念に貫かれた。霧がさらに深くならないうちに、彼の元に歩み寄り、二人で身を寄せ合わないといけない。僕は急いで彼の元に向かおうとしたが、もはや視界はまっ白な霧に覆われていて、彼の姿どころか自分の足元の草地でさえはっきりと見えない。それでも、さっきまでキャッチボールをしていたんだから、彼のいる場所は大体見当がつくはずだと信じ、さっき彼がいた方に向かっておそるおそる歩き出した。自分がどのくらい歩いたのかわからず不安でならなかったが、一歩一歩慎重に歩いていった。やがて、先ほど彼が立っていた辺りにたどり着いたと思ったが、彼の気配はまるで感じられない。僕は両手をおろおろと伸ばして、自分の手が彼の体に触れることにわずかな期待をかけたが、いつまで経っても彼は現れない。ここでもう一度、お腹にあらん限りの力を入れて「おーい」と叫んだ。叫んだ直後に息切れをするほど大きな声を出したにも関わらず、何も返事は聞こえない。目の前はただ、冷たい霧が一帯を覆っているばかりである。もはや彼の居場所を探る方法は何もないことに気づき、呆然とした。


僕は彼と合流することを諦めて、一人で霧に立ち向かおうとしたが、もはや視界はすっかり霧に覆われていて、歩くことすらままならない。さっきまでのあの燃えるようなどろりとした夕日もどこにも見出すことができない。しまいには、眠気に包まれてしまった。なんとか眠りに落ちまいと、両足を地面に踏ん張って耐えしのいでいたが、どんどん眠気が押し寄せてくる。やがて、陶然とした境地になった。ほどなくして、僕は眠りに落ちていった。

 


二.

再び僕が目を覚ました時、自分が全く見たこともない場所に立っていることに気づいた。先ほどまでの霧は消え去っている代わりに、目の前には見慣れた公園ではなく、黒々とした川が横たわっている。自分は川の手前の岸に立っていて、川の向こう岸に向かって大きな橋が架かっている。木製の橋に塗られた赤色が暗やみの中に浮かび上がっている。橋の左右の欄干には一定の間隔おきに提灯が並んでいて、向こう岸にまで続いているようだ。提灯以外には光がほとんどなく、川の地平線近くに浮かぶ舟の灯火が遠くにぼんやりと見えるくらいで、あたりは暗やみに包まれている。


岸から橋の上へと足を踏み出してみると、橋の上に一列の行列ができていることに気づいた。赤々とした橋の上を一列に並んでいる人々の姿が、両側の提灯に照らし出されていた。人々は自分に背を向けるようにして並んでいる。彼らはややうつむき加減で、互いに会話を交わすことなく、列をなしていた。これは一体何の行列なのか、行列の一番後ろの人に訊ねてみようかとも思ったが、行列に並んでみればいずれわかることだろうと思い、自分もその列に加わることにした。不安な気持ちもあったが、しばらくして自分の後ろにどんどん人が並んでいくのを見ると、今さら列を抜け出そうという気にもなれず、このまま行列に並ぶことにした。


行列が少しずつ前に進んでいって、橋の真ん中あたりに来た時に、川の向こう岸に門がそびえ立っているのが見て取れた。石でできたその門は、二本の門柱が暗い空を脅かすように立っていて、門扉が開け放たれている。門柱のふもとには篝火が焚かれていて、この門を照らし出している。門柱のあたりははっきりと見て取れるのに対し、門の上の方はほとんど闇に覆われていて、わずかにおぼろげな輪郭が浮かび上がっているばかりだ。
そして、目を凝らして見ると、門のそばには二人の門番らしき人物が控えている。温和でがっしりとした体格の人物と、背が高く精悍な顔つきの人物だった。どうやら僕が並んでいたのは、この門に入るための行列だったらしい。門のあたりを観察していると、行列の先頭まで来た人は、二人の門番と身振り手振りでやりとりをした後、門の中に入ることを許可されて、門の中を通り抜けていく。行列は門の中に吸い込まれていくように見えた。

 


僕が観察を続けているうちに、また行列の先頭の人が門の中に入っていき、行列が一人分前に進んだ。そうして次に先頭に来た人物の横顔が、篝火に照らし出されて、その四五人ほど後ろにいる僕の立ち位置から見えるようになった。その人物の顔は、まぎれもない彼のものだった。僕は彼の姿を見かけて、声を掛けた。はじめに「おーい」と叫んだ時には、少し上ずった声になってしまったが、二度目に大声で「おーい」と叫んだ時、彼はようやくこちらを振り向いてくれた。穏やかな微笑を浮かべているものの、それはどこか諦めがかったようなしずかな微笑だった。彼は僕の方を見て微笑んでいたが、自ら声を発することはなかった。しばらくの間僕の顔を見つめていたが、やがて真顔になり、唇を引き結んできりっとした表情になった後、何か一言呟いた。でも、僕にはどういうわけか何の音も聞こえなかった。なに、と訊ねようとしたが、彼はやがて前に向き直り、二人の門番の間を通って、門の中へと入っていった。彼のたくましい後ろ姿と決然とした歩き方を前にしながら、僕はそれ以上何も声を掛けることができず、その場に佇んでいた。

 


やがて、僕が行列の先頭にたどり着いた時、二人の門番は同時に空を見上げた。それにつられて僕も空を眺めると、一つの赤く巨大な星があらわれて、二三度瞬いた後、ふっと消え去った。門番たちは顔を見合わせて、同時に頷いた後、すぐに門扉を閉めはじめた。僕は突然の出来事に混乱しながらも、あわてて自分も門の中に入ろうとして駆け込んだが、門番のうち一人が僕の両肩をつかんで身体を取り押さえて、身動きが取れなくなった。その間にもう一人が扉を押していた。門扉はぎいぎいと音を立てながら、ゆっくりと閉まっていった。僕はなす術もなく、門が閉ざされていく様子をじっと見守っていた。やがて、がたんと音を立てて門は封鎖された。あっという間の出来事だった。


門番二人は、暗い門の扉を背後にしながら、行列に並ぶ人々に向かってこう呼びかけた。
「今日はここまでです。すでに門は閉まっています。いま行列に並んでいる方々は、橋を渡って川の向こう岸に行き、しばらく進んだところにある下り階段を降りて、元の場所に戻ってください」


行列に並ぶ人々は、嘆息を漏らしたり青ざめた顔をしたり、あるいは安堵の表情を浮かべたりと、さまざまな反応をしていたが、やがて橋を引き返していった。元々知り合い同士がいなかったのか、互いに話を交わすことはなく、黙々と歩いていた。皆が橋の上から退散していき、気づいた時には橋の上に残っているのは僕一人となっていた。


僕はどうしても諦めきれず、門番に向かってこう訴えかけた。
「僕の友人がついさっき、門の中に入っていったんです。どうか、僕も一緒に行かせてください。もう一度門を開けてください」
丸い顔をした一人の門番が、申し訳ないという気持ちをにじませてこう答えた。
「我々は天からの指令に従って、門を開け閉めすることしかできません。指令に反した行動をとるわけにはいきません」
天の指令というのは、さっき空に一瞬だけ現れた赤い星のことだろうか。僕は信じられないといった口調で、繰り返し懇願した。
「門を開けてください。どうか、お願いします」
もう一人の精悍な顔つきをした門番が、教え諭すようにこう言い聞かせた。
「僕たち人間には、どうすることもできないんだよ」


僕は思わず泣き出して、門番二人の間を通り抜けて門の目の前に駆け寄り、どんどんと扉を叩いた。次には両手で扉を掴んで、無理やり門を開けようとした。けれども門はびくともせずに、僕の前にそびえ立っている。僕はますます激しく泣きながら、門に向かって体当たりをしたが、あっけなく跳ね返された。懲りることなく、今度は渾身の力を込めて門に向かって殴りかかったが、やはり簡単に押し返されてしまった。硬い扉を殴ったせいで、手を痛めてしまった。門はしずかに暗やみの中にそびえ立っていた。僕はへなへなと地面に倒れ込んでしまい、肩を震わせながら声をあげて泣きじゃくった。門番二人は、僕をじっと見守っていた。


ようやく僕が泣くのをやめて、しきりに鼻をすすっていると、門番が僕の両肩に手をかけて、僕の方をまっすぐに見ながら穏やかに話しかけた。
「君の友人に対する思いの大きさはよくわかったよ。立派なもんだ」
僕は門番の顔を見上げ、恨めしそうに門の方を睨んでいた。そこに、もう一人の門番が、しみじみとした話しぶりでこうつぶやいた。
「なんだか昔の俺に似ているな。門を見るその目が、昔の俺とそっくりだよ」
昔を懐かしむようなその声を耳にして、何と答えていいのかわからず、僕はただうつむいていた。

 


しばらく時間が経った頃、ふと辺りに霧が立ち込めた。それを見て取った門番たちは、僕に向かってこう告げた。
「この辺りが霧に覆われてしまわないうちに、早く家に帰るんだよ」
僕は、公園でキャッチボールをしていた時に突然発生した霧のことを思い出し、ぞっとした。
もう一人の門番が、こう説明を付け加えた。
「橋を渡って向こう岸まで行くと、下り階段があるから、そこを降りるんだ」


僕はおとなしくその言葉に従うことにした。でも、この二人は霧から逃げ出さなくていいのだろうかということが気になった。
「ところで、お二人はこれからどうされるんですか」
門番二人は、思ってもみないことを聞かれたという様子で、ははっと笑った後、こう答えた。
「俺たちは門番だもの。これからもずっと、この門を守っていくんだよ」「そうそう。俺たちのことなんて気にするな」
からりと明るい二人の発言を聞いて、感心したようなぼんやりとした表情をしていたが、やがて霧が少しずつ濃くなってくるのを見て、門番たちは厚い手の平で僕の背中を押し出した。
「じゃあな、元気でな」「気をつけて帰れよ」


ありがとうございます、と力なくつぶやいて、二人から背中を向けてとぼとぼと歩き出した。後ろを振り返ると、霧の向こう側で二人が大きく手を振っているのが見えた。


橋の上から川の方を見ると、暗やみが川の上に広がっている。流れのほとんどない、不気味なほど静かな川だった。橋を歩く自分の足音に耳を傾けながら、とぼとぼと橋を歩いていった。


やがて霧が深まってきて、川の向こう岸がかろうじて見分けがつくほどになった。川面はすっかり霧に覆われている。僕はぞっとして、全速力で橋の上を駆けだした。じわじわと広がりゆく霧から逃げるようにして、一心不乱に走り続けた。


ようやく向こう岸にたどり着いた時には、視界がまっ白だった。その中にかろうじて下り階段を見出し、必死になって階段を駆け降りた。この階段がどこまでも続いているように思われて、恐怖に包まれていたが、あらゆる感情を振り切るようにして階段を下り続けた。やがて、最後の一段にまで達したようで、僕は空に放り出された。どうやらこの石の階段は、空中に浮かぶものであったらしい。校舎一階分くらいを真っ逆さまに落下した後、どさりと地面の上に倒れ込んだ。僕は地面に身体を打って、しばらくの間は痛みに喘いでいた。やがて痛みが徐々にやわらいでいくと、今度は徐々に眠気が押し寄せてきた。自分がいまどこにいるのかもわからないまま、僕はしずかに眠りに落ちていった。

 


三.

再び僕が目を覚ました時には、自分が公園の入り口前の道路に倒れていることに気づいた。頭上には、朝の爽やかな空が広がっている。もう夜が明けたらしい。僕が昨日必死に駆け降りていた石の階段は、もう何の痕跡もとどめていない。門の向こう側に入ってしまった彼も、僕を門の手前に留まらせた門番たちも、どこにも見当たらなかった。


ぼんやりとした頭で公園の入り口を通り抜け、公園の中へと入っていった。今度はもう、彼の姿は見当たらなかった。その代わりに、僕のグローブと彼のグローブが草地の上に放り出されていた。キャッチボールをしていた時のボールが、僕のグローブの中に収まっていた。短い草をざくざくと踏みながら、僕は自分のグローブの元へと向かった。そしてグローブを手に付けて、退屈そうにボールを上に放り投げてはグローブで捕るということを何度か繰り返していた。でも、すぐに止めてしまった。僕は二人のグローブを重ね合わせてその上にボールを載せ、家に帰ることにした。公園の入り口を潜って外に出て、家に向かってとぼとぼと歩いていった。