東京大学読書サークルこだま 公式ブログ

東京大学読書サークルこだまの公式ブログです。部誌『こだま』に掲載している文章などを公開していく予定です。

二〇二〇年の「観光客」として

 コロナ禍で、どこか遠いところへ行く機会はずいぶん減った。逆に、今までやっていた旅行っていうのはそもそも何だろう、と考えてみたりもしている。

 
 ガイドブックとにらめっこし、その写真に載っている観光名所を実際に見、これで目的は達成できたと満足して次に向かう——旅行は、ともすればこうしたスタンプラリー的スタイルになりがちな部分がある。また現代では多くの人が、旅先の写真や動画をSNSにアップすることで、旅行自体を言わばコンテンツとしてシェアしている。


 僕自身そういった感じで小規模な満足を得ることもあるから、それらを否定する気はあまりない。しかし旅行や観光の持つ射程ってこんなものじゃないだろう、とも思う。


 東浩紀『弱いつながり 検索ワードを探す旅』は、旅の効能をズバリ「環境を変えて検索ワードを増やすこと」にあると言う。人が何かに関心を持つためには、偶然の出会いが不可欠だから。


 これは、最近の子供が考えそうな(というか実際言っていたのを見たことがある)「検索すればなんでも出てくる時代に知識なんて要らないんじゃないの?」という疑問へのアンサーにもなっているように思う。そもそも検索ワードを知らなければ、人は何も検索できない。そして普通に暮らしている限り、僕たちの知っているワードはあまりに固定的で、あまりに少ない。『弱いつながり』では、ひとつのところに根を張る「村人」でもなく、動き続ける「旅人」でもない、ある意味「ふまじめ」で「無責任」な「観光客」的在り方の可能性が説かれる。

 

 この概念をベースに、哲学的な議論をさらに発展させたのが同じく東浩紀の『ゲンロン0 観光客の哲学』。大衆社会や動物的消費者を批判してきた理想主義的な二十世紀の人文学を真正面から迎え撃つ、まさに二一世紀を生きるための書と言える。

 

 さて、二〇二〇年の今、移動を伴う「観光」は封じられた。『弱いつながり』の言葉を援用するなら、インターネットとは「強いつながり=既存のつながり」を強化するだけのツールである。

 

 そんな中でどうすれば偶然性を取り戻すことができるのか。その思考および実践はまだまだ途上だけれど、たとえば文学を主に取り上げるっぽい書評誌で、あえて文学以外のものを書評してみる、とかやっていたりはする(いや、それは単に最近あまり文学に触れられていないだけかもしれない……)。