東京大学読書サークルこだま 公式ブログ

東京大学読書サークルこだまの公式ブログです。部誌『こだま』に掲載している文章などを公開していく予定です。

『こだま』三号に寄せて

ぼくらは偶然を欲している。
目の覚めるような出会いを。心臓を高鳴らせる眩い光を。それと出会った瞬間、今までの人生はすべて嘘だったと思ってしまえるような極彩色の刺激たちを。

 

ぼくらは必然を欲している。
あの出会いが自分を変えた、あの言葉が自分を救った、あの選択が今の自分を作ってくれた。そうして事後的に語られる過去の偶然は、まるで初めから決まっていた運命のようにも見えてくる。
ぼくらは物語としての人生を編む。物語とは、偶然を必然に変える装置だ。

 

コロナ禍はぼくらから偶然を奪う。
「ステイホーム」を我流で訳すとしたら、「偶然を捨てよ」とでもなるだろうか。外へ出ること。街で誰かと関わること。人と人との接触から偶然は生まれる。


その「接触」それ自体がリスクになる以上、従来型の偶然が奪われるのはやむを得ない。なぜなら、全体ではなく個のレベルで考えた場合、ウイルスに感染するのはまったくの偶然だから。誰が悪いのでもなく、感染とはどこまでも確率論的な事象にすぎない。政策によって感染を封じ込めるという「全体の論理」と、努力すれば感染は必ず防げるはずだという「個の論理」を混同してはいけない。


ところが残念なことに、「感染したのは予防を徹底できていなかったせいだ」と事後的に原因が語られ、迫害される実情がある。そして石が投げ込まれる。ここでも偶然は必然化されている——蓋しもっとも悪辣な形で。
こんな過ちが社会を取り巻く今だからこそ、ぼくらは偶然について考える必要がある。

 

この世に必然の因果なんてない、すべては偶然だ、と言い切ってしまうことは容易い。きれいな物語なんてない、ただ現実があるだけなのだと。


 けれども、それではぼくらは生きていけない。偶然の糸を必然のほうへ手繰り寄せ、いろいろな偶然に自分なりの意味を見出し、織物のように物語を生成しながら、また誰かの物語と融け合っていく。生きるとはそういうことだろう。だからぼくらには本が要る。文学が要る。


 「偶然」をゆるやかなテーマに掲げるこの『こだま』三号もまた、あなたの物語の一部になれたら幸いだ。