東京大学読書サークルこだま 公式ブログ

東京大学読書サークルこだまの公式ブログです。部誌『こだま』に掲載している文章などを公開していく予定です。

底の方から

雨音が聞こえる。二つ目のアラームが鳴り響いている。深い眠りが乱されて、ちょうど今見ていたばかりの夢が終わりを告げる。薄暗い部屋。不明瞭な意識の中に、ざぁざぁと雨の降る音が流れ込んでくる。

寝起きで冴えない頭に必要最低限のエネルギーを送り込み、ダイニングテーブルでぼそぼそと朝食を摂る。少しだけ開いたカーテンの向こうには、水色の街が覗いている。つめたくて、限りなく灰色に近い色。まるで世界に一枚紗幕をかけたように、空も建物もすべてが水色だ。静謐なつめたさに、不意に心が凪ぐ。


昼頃。雨足が弱くなったから、散歩に出かける。茶色いレインブーツに足を突っ込み、透明なビニール傘を差して小さな町を歩く。土の湿った匂い。空を見上げれば、灰色の薄い雲が空を覆っていて、ところどころに青空が覗いている。重なり合った雨雲の上、照りつける太陽と青空の広がる景色が頭をよぎる。それはいつかの飛行機の窓際。

駅前の小さな本屋に入り、いつも通りあてもなく気になった本を手に取ってみる。店主は店の奥で新聞を広げていて、日の差さない薄暗い店内を、蛍光灯が頼りなく照らしている。一時間、それかもっと経っただろうか。結局何も買わずに本屋を出ると、いつの間にか雨が上がっていた。外界のあまりの明るさに、つい先ほどまで深い海の底を泳いでいたかのように感じられた。

暑い。お気に入りのシャツが汗で肌に張り付いている。いつもの坂道を登り切り、後ろを振り返ると、背の低いマンションの立ち並ぶ向こうに、入道雲が帯のように連なっていた。その輪郭は青色の空にくっきりと映え、もくもくと膨れた雲の陰影も、春や秋のそれよりもずっと際立って見える。例年ならば夏の予感に沸き立つ高揚を感じていただろう。今年はなぜか、ほんの少しの絶望の味がした。思うように外出ができなくなってから、時間の流れは狂い始めた。桜の春を、新緑の初夏を、十分に生きた気がしないのに、それでもカレンダーはめくられていく。気づけば梅雨も本番で、梅雨時の空は晴れ間の中にときおり夏を忍ばせる。私の体感している時間はあまりにも薄味で心許ないのにも関わらず、外界の時間は私を夏の中へと猛スピードで引きずっていく。


夕方の二階の自室にはやわらかい光が斜めに差し込み、窓の外では再び雲が空を覆い始めていた。それらは時間の経過とともに幻想的な桃色に染まりゆく。夢を見ているのではないか、と思うような夕焼け空だ。いいや、本当に夢であれば良いのに。わるい夢だ。一体いつになったら――と、空に尋ねようとして口を噤む。為す術もなく窓際に立ち尽くしていると、網戸の向こうから雨の匂いが鼻先に届く。世界は、人間の意思など気にも留めず、移り気な空の下に私たちを抱えて進んでいく。


今夜もまた、雨の音が始まる。