東京大学読書サークルこだま 公式ブログ

東京大学読書サークルこだまの公式ブログです。部誌『こだま』に掲載している文章などを公開していく予定です。

鑑賞 「わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと人にはつげよ海人の釣り舟」

はじめに

この文章は、国文学の古今和歌集のゼミにて、小野篁「わたの原」歌を取り上げて発表をした際におまけとして書いた、個人的な文章です。流罪に処せられた小野篁の心境に思いをはせ、出立の際の情景を思い浮かべながら鑑賞文を書いてみました。

「わたの原」歌が詠まれた経緯を簡単に説明しておきます。小野篁は、遣唐副使に任命されるも、破損した船に乗せられることを嫌って出航を拒否し、政治を諷刺するような歌をつくりました。やがて、朝廷の協議により篁の隠岐への流罪が決まります。そして隠岐島に向けて船を出発するに際して、この「わたの原」歌を詠んだとされています。

まずは、古今和歌集に収録されている本文と、私訳を紹介します。その後、「わたの原」歌の鑑賞文を掲載します。

 

本文

隠岐の国に流されける時に、船に乗りて出でたつとて、京なる人のもとにつかはしける

わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと人にはつげよ海人の釣り舟

古今和歌集 羇旅四〇七 小野篁朝臣

〔私訳〕
大海原の、無数の島々に向けて舟を漕ぎ出してしまったと、人には告げてくれ。海人の釣り舟よ。

 

鑑賞

茫漠たる海原の中に、多くの島とすこしの釣り舟が浮かんでいるが、どれも点描のようにかすかな存在である。漢画の景色を想起させるような、寂しい情景である。都とはかけ離れた世界に向かいつつあると実感されたことだろう。

視界に見える島々は、大海の中にぽつりと浮かぶ小さな島ばかりである。どれも孤島という表現がふさわしい。まれに群島をなすことはあっても、決して陸続きになることはない。まるで、人間の孤独な姿そのものと対峙しているような、寂しい島の様子である。


自分の発言や行動に端を発したことではあるが、中央政界の目まぐるしい変転に見舞われ、今に至る。かつて帝に気をかけてもらい、広く学識を認められていた篁は、海人たちがわびしい生活を送る、海原にたどり着いている。そしてまもなく、さらに人気の絶えた土地へと向かいつつある。人々はどんどん遠ざかっていく、世の中は自分とかけ離れたものとなっていく。

そうした境遇にあって、篁は、人間界そのものと別れを告げるような心境にいたる。かつて自分がもてはやされた夢のような世界との別離の悲しみ、直言が戒められる理不尽な世界から離れることの清々しさ、かすかな親交のあった人々に対する絶えがたい愛惜の念。これらさまざまな心情が、次々と篁の心中にこみ上げてくる。というより、あらゆる方向に向かっている無数の心情同士が一種の均衡状態に入り、一つの沈黙として実感されるのだろう。表現することの無力さが身にしみて感じられるような心境ともいえよう。


やがて、篁の舟は海辺を出発する。いよいよ配所である隠岐に向かって瀬戸内海を進んでいくのだが、航路やら行き先やらといった事柄は、いまの篁にとっては何の意味もなさないだろう。ただ、自分が、遠く離れた地に向かいつつあるということが、おぼろげに感じられるばかりである。すでに自分の意識は、大海原の中に溶け込んでいくような、朦朧としたものになりつつある。眼前の多くの島々やいくつかの海人の釣り舟が、一つの大海原の中に溶け込んでいるように、篁の意識も、この大海原に身を任せようとしている。篁はもはや抵抗しようとはしない。それどころか、自分という存在が大海原に呑み込まれていくことに、陶然と、一種の快い感覚を味わっているほどである。

こうした朦朧たる意識のなか、篁はようやく一つの和歌を詠ずる。「わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと人にはつげよ海人の釣り舟」。島々が自分のそばを流れてゆく、海人の釣り舟が遠ざかっていく。この舟は、もう〈漕ぎ出してしまった〉のである。後戻りはできない。自分は、人間界を離れ、どこか遠いところへと連れられて行くのである。だが、不思議な事に、後悔の念はほとんど感じられない。それだけではない。もはや、この和歌によって何事かを表そうという気持ちは、微塵も残っていまい。むしろ、この和歌の言葉の周囲を取り囲む、果てしない広がりを持つ沈黙そのものを表している。そもそも人間になしうることは、言葉を通して何事かを表現することではなく、言葉の周囲を包み込む豊かで厳然たる沈黙をあらわすことに過ぎない、という考えも起こる。


彼の舟は進みゆき、目の前の海原に浮かぶ数々の釣り舟の一つとなっていく。そうして、水平線のかなたに姿を消す。海原は元の通り、静寂が辺り一面を支配している。

無常と古典

無常の世にあって、文学作品はなぜ時空を超える力を持つのだろうと、以前から不思議に思っている。

この世が無常であることは、多かれ少なかれ皆が納得するだろう。栄華栄耀を極めた一族もやがては滅びゆくこと。災害や疫病により、世の中が大きく変動すること。人々も社会も無常にさらされており、万物は流転していく。

だが、文学作品、殊に古典作品は、例外とも言える。たとえば『源氏物語』は、千年もの時を経て現代に伝えられている。古典作品だけは、無常の世における例外のように、時空を超える力を持っているのである。


無常の世にあって、不動の姿を保っている文学作品においては、何が起こっているのだろう。この秘密を考えるにあたって、『徒然草』を題材にしてみよう。

徒然草』は、いろんな章段の中で、人間がやがては死すべき存在であることが喚起され、世の無常が繰り返し語られている。無常観のあらわれた作品と、一応言うことができる。

だが、ここで強調したいのは、『徒然草』には無常観以外の内容が数多く含まれているということである。『徒然草』の中には、実に多種多様な素材が揃えられている。公卿の行動、珍談、住居論や四季の自然、恋愛観、嘘の分析、……。読者が受ける印象も、章段ごとに大きく異なるだろう。当時の習俗を伝える興味深いもの、人生に対する新たな心眼を開かされるもの、滑稽で珍妙なもの、……。とても一言で表すことはできない、豊富で多様な文章が揃っている。


こうした多様さの秘密の一端をうかがい知ることのできる、第二三五段の概要を紹介しよう。主人のある家には、何もよりつかないが、主人のいない空き家には、狐やら梟やら、さまざまな動物が寄り集まってくる。主人がいないおかげで、様々な動物が集まってきて、その場の豊かさが生まれていると言える。鏡についても、事情は似ている。鏡はそれ自身何の色も形も持っていないが、だからこそ、万物の姿を映し出すことができる。

心についても、同様のことが言える。心に主人がいたとすれば、限られた客しか来てくれないだろう。でも、心に主人がいない状態であれば、名前も知らないような多様な者たちが訪れてくれ、心の中が多様なもので満たされるようになる。

以上が第二三五段のあらましだが、ここで語られていることは『徒然草』に広く行き渡っている精神ではないだろうか。『徒然草』を書き綴った兼好法師が、心に定まった主人がいない状態を保っていたからこそ―すなわち、『徒然草』自体に定まった目的や方向性が何もないからこそ、この作品はこれほど多様な内容を包み込む作品となっているのだろう。

もしも『徒然草』が、例えば無常観を伝えるということに固執していて、他の内容を削ってしまっていたら。例えば、数々の珍談―怪物「ねこまた」を恐れる僧侶の話やら、酔狂のために鼎を頭にかぶった人物の顛末やら―これらの珍談は、悉く存在し得なかっただろう。整然とした構成の文章になる代わりに、今のような多様な内容は存在せず、どこか物足りない文学作品となっていただろう。そして、ひょっとすると、現代に伝わることなく散逸していたかもしれない。


多様性と無常の世を生き延びることのつながりを示すべく、無常についてもう少し考えてみたい。先ほど無常の世において万物が流転していく旨を述べたが、文学の領域においても概ね同じことが言える。無常の世にあっては、どれほど強固な主張も、どれほど勢いと権威のある文学も、ふとしたきっかけ―例えば文学の風潮の変化―の影響を受けないとは限らない。そうして、作家が亡くなると共に、その文学作品が徐々に忘れ去られていき、すっかり色褪せてしまうことは往々にして起こり得る。

だとすれば、信頼するに足るものは、一つの力強い主張を表した作品よりも、むしろ無数の小さな主張が集成して一つの作品となったものではないだろうか。時の試練に耐えて諸行無常の世を生き残るものは、あらゆる方向に向かう無数の成分、及びそれらを取りまとめる名状しがたい一種の感情の方ではないだろうか。これらの要素を内包する作品は、たとえ人間や社会が大きく変動しても、そう簡単には揺れ動かない。作品の読み方や注目される点が推移していくことはあっても、作品そのものは魅力を保ち続ける。いつの時代にあっても、その作品は読者の心を揺さぶり奮い立たせるものとなる。気づいたときには、無常の世を生き長らえていく古典作品となっている。

こうした考察を踏まえると、『徒然草』が内包する多様性は、そのまま古典作品としての資質を表すものに他ならない。兼好法師は、一つの目的や方向性に固執せず、豊かで多様な「心にうつりゆくよしなしごと」を差別なく書き綴ったからこそ、『徒然草』は古典作品として成立したのではなかろうか。無常観をあらわすことに固執しなかったからこそ、無常の世にあって生命を保ち続ける古典作品を生み出すことができたのだろうと、そう思えてならない。


さて、ここまで『徒然草』について独断めいた考えを語ってきたが、白状すると、僕はまだ『徒然草』の半分弱ぐらいしか読んでいない。でも、それは恥ずべきことではないと思っている。『徒然草』は、気合を入れて一気に読み通すような堅い作品ではない。手すさびにいくつかの章段を拾い読みするような、そういう読み方の方がふさわしいだろう。今後も気が向いた時に、ぽつぽつと『徒然草』を読んでいきたい。

夢十一夜

    こんな夢を見た。

 立て付けの悪い硝子戸をがらがらと開けると、既に電気が点いていた。何でも余程古い家らしく、畳や襖から生じた一種の香りが鼻を抜ける。何処かで見た風景だと思ったら、自分が幼少の頃によく連れて行かれた田舎の伯父さんの家だと解った。

 何をするともなく三日三晩ほど過ごしていると、見知らぬ男が居間に出入りしている事に気が付いた。

 誰だか判然としない。酔っても居らぬのにふらついている。見た事があるような無いような心持ちがし、何故だか頸の横に冷たい刃物を当てられたような汗を掻いた。男は自分と目が合うと、まるで知った顔の如く挨拶を寄越した。それで此方も挨拶をし返しておいた。妙な男だ。

 四日目の晩、炬燵へ入ろうと暗い廊下を歩く最中、自分は伯父さんの遺影と目が合った。すると遺影の中の肖像が例の見知らぬ男に見えて来た。

 じっと目を合わせていると又思い出した。伯父さんは今から随分と前に亡くなっている。そうしてその遺影には百合の花が捧げられていた。百合はとうの昔に枯れていたが、自分はそれを美しいと思った。

 二階へ上がると、それぞれの部屋に衣服が脱ぎ散らかされている。然し上着やシャツのボタンは閉じられたままであって、着ていた人の体だけがするりと抜け出て消えて仕舞っていた。大体自分はこの家に二階の在る事を生まれて初めて知った。又ひやりとする。

 玄関口には例の男が矢張り来ているらしい。
「おうい、二階に居るのかね」
「おります」
「そんなら降りて来て呉れるか。将棋盤を運ぶのを手伝って欲しいのだ」

 その将棋盤は普通のより格段に重く、男一人では運べないらしかった。自分は断る理由も無いので男の言う通りにし、さっき見た妙な衣服に就いて尋ねようと思ったが、機を計るうちに将棋の対局が始まって仕舞った。

 将棋の駒一つ一つさえ大変重い。歩兵を前進させるにも苦労した。その歩兵には何故だか伯父さんのような面影があった。歩兵を進める。パチという音が鳴り、自分の心臓も高鳴る。

 そうして自分の番が終わった時、目の前の男は憐れむような目で此方を見ていた。そこに伯父さんの面影は一つも無く、ああ良かった、この男は伯父さんでは無かったのだ、と大いに安堵した。男は桂馬を好んだ。桂馬が成って金将になって仕舞うのを無闇に拒んだ。

 将棋が終わった夜には自分の友が遣って来た。友は何か必死な形相で此方に話し掛けて来るのだが、自分には何も聞こえない。将棋の駒のパチパチいう音が頭の中で反復されるばかりだった。

 仕舞いには友人の顔が香車の駒のように見え、何処かへ一直線を描いて走り去って呉れれば良いが、と思った。実際その友人が泊まっていた部屋を見ると、朝には衣服だけが残っており、自分はそれでこそ香車だと感心した。頭の中のパチという音はどんどん大きくなる。

 そんな調子で時が経ち、例の男と百度目に将棋を指した時、何やら自分の盤から香車がいなくなっていた。自分が伯父さんのようだと思った歩兵の駒も消えていた。

 やがて駒は悉く跡形も無くなり、目の前を見ると例の男も眼前からいなくなって、自分は一人で将棋盤を見つめ続けた。

 そうしているうちに、見知らぬ小僧が立て付けの悪い硝子戸をがらがらと開ける音がした。姿を見る前から何故だか小僧だと解った。ああ、自分も百年前はこんな小僧だったな、と思いながら将棋盤を片付け始めた。駒は又きちんと一揃いになっており、一対の桂馬が静かに此方を眺めていた。

(大島一貴)

連載 「『注文の多い料理店』の謎を解く」 第二回 紳士たちはなぜ扉の指示のあやしさに気付かなかったのか

 

はじめに

    この連載は、宮沢賢治注文の多い料理店』の中にひそむ謎を突き止め、その謎について探求していこうという文章です。今回のテーマは、「紳士たちはなぜ扉の指示のあやしさに気付かなかったのか」です。

お店の指示に忠実に従う紳士二人

    さっそく本題に入ります。紳士二人が、扉の指示書きをあまり疑うことなく、一つ一つ律儀に守っていることについて考えてみたいと思います。

    紳士二人は不思議な店の中をどんどん進んでいきます。すると、扉がたくさん設置されていて、それぞれにはお店からのメッセージや指示が書かれています。その一部を紹介すると、例えば「当軒は注文の多い料理店ですからどうかそこはご承知ください。」という扉のあと、次のような言葉が書かれた扉につき当たります。「注文はずいぶん多いでしょうがどうかいちいちこらえてください。」 ふつうの店では見られないような、あやしい指示です。これを読んで、一人の紳士は「これはぜんたいどういうんだ。」と顔をしかめますが、もう一人が次のように切り返します。「うん、これはきっと注文があまり多くて、したくが手間取るけれどもごめんくださいと、こういうことだ。」結局、はじめの紳士はこの言葉に納得し、はじめに抱いた違和感をこれ以上考えることなく店の奥へと進んでいきます。

    このように、少し変わった文言を見て、一人の紳士はその内容を怪しんでいるものの、もう一人の紳士がお店に対して好意的な解釈をしてみせて、それで二人とも納得して次の扉に進んでいく、という構図が、これから先何度も繰り返されていきます。例えば、〈髪を整えて、はき物の泥を落としてください〉という指示に対しては、〈よほど偉い人たちが来ているんだ〉という解釈を与えています。

    中には、こんな解釈の仕方もあります。店の中をさらに進むと、「ネクタイピン、カフスボタン、めがね、さいふ、その他金物類、ことにとがったものは、みんなここに置いてください。」と書かれた扉が現れるのですが、二人は即座にこう反応します。「ははあ、何かの料理に電気をつかうと見えるね。金けのものはあぶない。ことにとがったものはあぶないとこう言うんだろう。」この解釈を思いつくのは、逆にすごいと思うほどです。眼鏡をはずしたりするというのは、かなりあやしい指示ですが、二人はわざわざ自分からお店の味方をするような解釈をしています。こうした指示は、普通のお店では見られないはずであり、紳士二人もそのことは今までの経験を振り返ればわかったはずですが、二人は過去の経験を全く参照していないようです。それで、自分たちが初めに感じた、「この店は自分たちを歓迎してくれている、良いお店だ」という信念を、そのままずっと貫き通しているようです。

    こうして、扉の指示を一々忠実に守って、どんどん店の奥に進んでいった二人でしたが、五枚目の扉の次の言葉を見たときに、ようやく異変に気づきます。「いろいろ注文が多くてうるさかったでしょう。お気の毒でした。もうこれだけです。どうかからだじゅうに、壺の中の塩をたくさんよくもみ込んでください。」二人のこの時の反応は、次の通りです。

…こんどというこんどは二人ともぎょっとしてお互にクリームをたくさん塗った顔を見合せました。
「どうもおかしいぜ。」
「ぼくもおかしいとおもう。」
「たくさんの注文というのは、向うがこっちへ注文してるんだよ。」
「だからさ、西洋料理店というのは、ぼくの考えるところでは、西洋料理を、来た人に食べさせるのではなくて、来た人を西洋料理にして、食べてやる家、とこういうことなんだ。これは、その、つ、つ、つ、つまり、ぼ、ぼ、ぼくらが……。」がたがたがたがた、ふるえだしてもうものが言えませんでした。…

    ここに至って初めて、自分たちはこのお店に今まで騙されており、自分たちはこれからお店の人々に食べられてしまうのだということに思い当たるのです。最初にこのお店を信頼しきっていた彼らは、途中のあやしい指示を見ても、結局その指示を好意的に解釈して奥に進んでいっていましたが、最後の明らかにおかしな指示を見て、ようやく事態の異常さに気づいたのです。この段階で、今までの指示がそういえば怪しかったということも、想起されるようになっています。

    以上紹介した指示の中には、様々なあやしい言葉がありました。ですが、二人の紳士は、明らかにおかしな言葉を除くと、目の前の言葉が正しいもの・適正なものであると思い込み、信じてしまう傾向があったようです。

 

すぐにだまされる人たち

    先ほど述べた、紳士の二人の反応は、不思議なものです。目の前の言葉の正しさを信じようとする傾向は、彼らに限らないでしょうが、そうはいっても〈顔中にクリームを塗ってください〉という指示にまで従ってしまうのは、さすがに行き過ぎだろうと思います。特殊な反応だと言ってよいでしょう。

    ですが、このような不思議さは、この作品に限ったことではありません。『注文の多い料理店』ほど明瞭ではないものの、同種の不思議さは宮沢賢治の他の作品の中にもやはり見出せるものです。

 

『双子の星』のチュンセ童子とポウセ童子

    続いて、『双子の星』という作品を紹介します。この作品は前半と後半に分かれており、それぞれが一応独立した話となっています。後半において、二人の童子(双子の星)は箒星の陰謀により、天上界から脱落してしまい、海の底に沈められてしまいます。ここで注目したいのは、二人の童子が、箒星にいとも簡単にだまされてしまっているということです。

    この作品の主人公は、作品のタイトルにもなっている双子の星です。

天の川の西の岸に小さな小さな二つの青い星が見えます。あれはチュンセ童子とポウセ童子という双子のお星様でめいめい水精でできた小さなお宮に住んでいます。

    チュンセ童子とポウセ童子は、毎晩、夜から朝にかけて、「そらの星めぐりの歌」に合わせて一晩中銀笛を吹き続けています。これが、王様から仰せつかった二人の役目です。

    ある晩、チュンセ童子とポウセ童子の元に箒星がやってきます。笛を吹くのをやめて、旅に出ようと誘いかけます。二人はためらい、〈旅に出ることは、王様のお許しが出ないはず〉とこたえますが、箒星は二人をけしかけます。

「心配するなよ。王様がこの前俺にそう云ったぜ。いつか曇った晩あの双子を少し旅させてやって呉(く)れってな。行こう。行こう。(後略)」

    王様の許可についての、彼らのやりとりのうち、セリフの部分のみを抜粋します。

ポウセ童子「チュンセさん。行きましょうか。王様がいいっておっしゃったそうですから。」
チュンセ童子「けれども王様がお許しになったなんて一体本当でしょうか。」
彗星「へん。偽(うそ)なら俺の頭が裂けてしまうがいいさ。頭と胴と尾とばらばらになって海へ落ちて海鼠(なまこ)にでもなるだろうよ。偽なんか云うもんか。」
ポウセ童子「そんなら王様に誓えるかい。」
彗星「うん、誓うとも。そら、王様ご照覧。ええ今日、王様のご命令で双子の青星は旅に出ます。ね。いいだろう。」
二人「うん。いい。そんなら行こう。」

    二人は少し不審に感じながらも、結局は箒星の言葉を信じてしまい、箒星のマントに乗って、旅に出てしまいます。

    でもこれは読者の予想通り、箒星の策略でした。チュンセ童子とポウセ童子の住んでいるお宮から遠く離れたところに来た頃、箒星は態度を豹変させ、二人を吹き落とします。二人はまっさかさまに落下していき、海の中に矢のように落ちていきます。(海に沈んだ二人がその後どうなっていくかについては、ここでは割愛します。)

    さて、『双子の星』のチュンセ童子とポウセ童子は、箒星の言葉にいとも簡単にだまされてしまっています。〈王様が箒星に、そのような許可を与えるはずがない〉ということは、冷静に考えればわかったことだろうと思いますが、二人は目の前の箒星の言葉が正しいものと信じ込んでしまって、箒星に付いていき、やがて海の底に沈められたのです。素直すぎる二人の童子の身に起こった、悲運な出来事です。

 

『オッペルと象』の象

    続いて、『オッペルと象』という作品における白い象のふるまいを軽く紹介します。オッペルたちの仕事場に、のこのことやってきた白い象は、オッペルにうまく言いくるめられて、仕事場にずっと滞在することになります。そして、特に予告もなく、体に鎖や分銅を付けさせられ、肉体労働を朝から夕方までさせられるはめになります。オッペルに騙されたと言ってよいでしょう。

    ですが、白い象の方はと言うと、自分が肉体労働を割り当てられているという事実にあまりぴんと来ていないようで、「ああ、かせぐのは愉快だねえ、さっぱりするねえ。」なんて口にしながら、うれしそうに仕事をしています。オッペルの悪意なんてものを全く考えている気配はありません。オッペルが白い象に語り掛けた、「ずうっとこっちにいたらどうだい。」という言葉は、純粋な善意により発せられたものだということを信じ切っているように見えます。

 

目の前の言葉を信じ込む傾向

    どうも各作品に共通しているのは、目の前の言葉に対する姿勢であるようです。紳士二人も含め、彼らは、目の前の言葉が正しいものと、無条件に信じてしまう傾向があるようです。過去の経験を考え合わせたら、その言葉の怪しさに気づいてしかるべき場合が多いですが、彼らの意識は目の前の言葉にのみ集中しています。彼らは、目の前でその言葉を発する人がいること、あるいは目の前にその言葉が書かれていることが、その言葉が真であることの十分な理由であるというような振る舞い方をしています。言葉の背後に悪人がいることなど考えも及ばず、その言葉を書いた人たちの善意を信じて、目の前の言葉を受け入れているのです。

    目の前の言葉を信じ込むこと自体は、そこまで不思議ではありませんが、彼らの場合、その程度がかなり高いようです。こうした現象は、『注文の多い料理店』、そして宮沢賢治の童話全体の上に横たわる、大きな謎の一つと言えそうです。

    一つの言葉をそのまま信じ込むという傾向は、童話作品においては良い方向に働くことがしばしばあります。この傾向のせいで誰かに騙されてしまうことはあるものの、おおむね登場人物の無邪気さや純粋さを高めるような役割を果たしているように思われます。

    ただ、ここで考えを進めて、もしもこうした童話作品をつくり出した賢治自身も、似たような傾向を持っていたとしたら、どうでしょう。この傾向は、賢治の人の良さや純粋さにつながったという側面も確かだろうと思いますが、そのせいで、相手にだまされてしまうこと、信じる必要のない言葉を信じてしまうこともそれなりにあったのではないか、と推察されます。

    賢治自身のそうした傾向についての、直接の根拠には何も出会えていないのですが、賢治の純粋で不器用でひたむきな一生を考え合わせると、やはり賢治にも同じような傾向が見られたのではないかと思えてなりません。

 

僕と、宮沢賢治

    と、このあたりで、話題は宮沢賢治の童話から僕自身の経験へと移り変わります。実は僕自身にも、同じような傾向の心当たりがあるのです。ここからは、脱線になりますが、僕の二つのエピソードを語りたいと思います。

 

エピソードその一 「乗ってええで」

    大学一年の頃、友人の家に向かうべく、僕も含め三人で歩いていたときのことです。三人は、平坦な道を歩いていました。一人が自転車を押して歩いていて、もう一人と僕は徒歩です。道を歩くのに、明らかに自転車がじゃまになっています。「歩いてくればよかったのにな」と言い合っていました。

    いまの道がゆるやかな坂道にさしかかった頃、関西出身のその友人は、ふと僕に自転車を渡しました。「乗ってええで」。僕は意外な援助を受けたというような顔をして、穏やかな口調で、「ああ、ありがとう。」と言いました。とはいえ、坂道なので、自転車を乗るわけにはいかず、僕は自転車を押して歩き始めました。その様子を見た友人はすかさず、「いや、『ありがとう』ちゃうやろ!」。もう一人の友人は、少し離れたところで苦笑いをしていました。

    坂道の直前で友人が僕に自転車を渡したのは、僕のためを思ったからではなく、単にふざけてそうしただけでした。つまり、友人のボケということです。けれども、当時の僕はそのことに全く気づいていませんでした。本来ならば僕が「いや、なんで今渡すねん!」などとツッコミを入れるべきところを、僕が何にも気付かなかったせいで、逆に僕が「いや、『ありがとう』ちゃうやろ!」とツッコミを受けることになってしまったのです。

    このように僕は、目の前の言葉がおかしいものだということに気付かず、そのまま受け入れてしまう場合がしばしばあります。このエピソードの場合だと、〈自転車に乗っていいよ〉という言葉が、冗談だということに気づかず、相手の親切心によるものだと考えてしまう傾向があるようです。もちろん、今こうして文章を書いている時は、そのおかしさにちゃんと気づいているのですが、いざそうした言葉を前にすると、自分でも不思議なぐらい、ころっと信じてしまいます。

 

エピソードその二 ルービーを求めて

    次のエピソードは、大学三年の夏休みのことです。(ちなみに、いま僕は二度目の三年生なのですが、ここで話すのは一度目の三年生のときの話です。)一、二年のクラスの仲の良い友人たちと久しぶりに集まった日がありました。一人暮らしをしている友人の家に、夕方頃集まり、夕食を食べたりお酒を飲んだりしながら映画を観ようということになりました。
    集合する前に、僕が希望する人のお酒を買っていくことになり、グループLINEで次のようなやりとりを交わしました。僕「ほしいお酒があったら言ってな」友人「ルービー」僕「りょうかい」。

    僕は快諾をしたのですが、ここで困ってしまいました。いったい、ルービーとはなんだろう。まったく、聞いたこともないな。ここで、僕に「ルービー」を買ってきてほしいと頼んだ友人は、ダンスサークルに所属し、国際系の活動にも関わっている、社交的で快活な友人です。流行にも敏感です。僕が知らないだけで、世間ではいま「ルービー」というものが流行しているのだろうか。そうだ、きっとそうにちがいない。

    お店に行けばわかるだろうかと思い、友人の家の最寄り駅にあるコンビニに立ち寄り、お酒コーナーの棚を一通り見渡したのですが、ルービーは見当たりません。

    困ってしまって、googleで「ルービー」と入力し、画像検索をしました。すると、検索結果の一覧に、「ルービー」なるものがいくつか出てきました。やっと見つけたぞ、と喜んだのもつかの間、これらはどれも、一年前ぐらいに流行った一つのドリンクを表しているらしいということが判明しました。どうやら、今は販売が終了しているらしいのです。

    続いて、「まいばすけっと」に入りましたが、やはり商品棚のどこにもルービーは置いていません。このままだと、友人の依頼に応じることができなくなってしまうのか…。しかも困ったことに、その時すでに集合時間が近づいていました。これ以上お店を探していると遅刻が確定してしまいます。

    ぼくはルービーを探すのをあきらめて、とぼとぼと集合場所に向かいました。

    他のメンバーはすでに集まっていました。僕は、〈ルービーを買ってきて〉という依頼をした友人と、次のような会話をしました。
「久しぶり!」
「久しぶり~。あ、お酒買ってきてくれたんだ」
「うん、でもごめん、ルービーが見当たらなくて。けっこう探したんやけど…」
すると、その友人は、けろっとした口調で、
「ああ、あれビールのことだよ?」

僕は一瞬、はっとしたような表情をした後、今までのさまざまな疑問が一気に氷解して、納得したような表情に変わり、
「ああ、そうやったんか……。やっぱりな、なんかおかしいなって思っててん(笑)」

    そして、これまでのいきさつを一気に話しました。ルービーと言われても何も心当たりがなかったこと、お店で探しても見当たらなかったこと、ネットで調べたところ、一年前ほどに「ルービー」という飲み物が流行っていたけれど、今は売っていないらしいとわかったことなどをすべて伝えました。そして、googleの画像検索で、たくさんのルービーの写真が並んでいるスマホの画面をその友人に見せていました。

その友人は、ははっと笑って、
「ルービー探してくれてたんだね」
僕は寂しそうに笑った後、
「いやあ、自分で自分が悲しくなるわ…」
友人は、何も発言を差し挟めないといった様子で、ただ曖昧な苦笑を顔に浮かべていました。

    さて、思いのほか長くなってしまいましたが、このエピソードもやはり、僕の認知の傾向を示唆しているように思われます。ルービーというのは、友人が冗談で言った言葉であり、正体はただのビールです。それなのに、僕はそのことに全く思い当たらず、「ルービー」という言葉がそのまま正しいものだと思いこんでしまいました。

    しかも、付言すべきこととして、実はその友人はふだんからビールが好きでよく飲んでいたのです。また、以前に同じような状況で、ビールを頼まれて僕がビールを買ってきたこともありました。そうした過去の経験を参照すれば、「ルービー」がビールを表すものだということを見抜くのは、そんなに難しいことではなかったはずです。なのに、どういうわけか、僕は目の前に提示された「ルービー」という言葉に対する信念から抜け出すことができず、ルービーを求めてあちこちをさまようことになってしまいました。

 

僕の〈目の前の言葉を信じ込む傾向〉と、宮沢賢治

    以上二つのエピソードが示唆しているのは、僕も賢治の作品中の人物と同様、「目の前の言葉をそのまま信じ込む」という傾向がかなり大きいということです。彼らの傾向と厳密に同じものと言えるかどうかは確信が持てませんが、何かしら共通するところはあるように思っています。仮に僕が何かの拍子に「注文の多い料理店」に迷いこんだら、僕もやはり紳士二人と同様にお店側にだまされて、扉の指示にいちいち従い、お店の奥までどんどん進んでいっていたかもしれません。いまこの文章を書いている時の自分は、「いや、さすがにそんな簡単に騙されることはないはず…」と思っているのですが、いざ店に入り、店の指示書きを前にすると、やっぱりころっと騙されてしまって、しまいには体中にクリームを塗ったり、お酢を頭に振りかけたりしはじめていたかもしれません。…

    そこから、ひょっとしたら、宮沢賢治は僕と似たような人間だったのではないか、という予感が、頭の中を貫きました。もちろん、厳密なことを言えば、作品の登場人物と作家とを混同してはいけないという点をはじめ、いくらでも反論の余地はあるのですが、やっぱり賢治は自分と同じような人間だったんだという気がしてなりません。驚きと喜びとを大きく感じる一方で、上の二つのエピソードのような場面で僕が感じていたような孤独や寂しさを、賢治も僕と同じように味わっていたのだろうかと思うと、少しばかり憐憫の情も感じられます。

 

今までの話の整理

    ここまでの話を、一度整理しておきます。

    『注文の多い料理店』において、紳士たちは、いくつもの扉を開けて、どんどん奥へ奥へと進んでいっていることを確認しました。彼らは、扉の指示書きがおかしなものであるにもかかわらず、一つ一つその指示に従い、店に騙されてしまったのでした。そして、こうした彼らの行動は、彼らが目の前の言葉だけに意識を集中させて、その言葉が正しいと思いこむことに由来するようだということを述べました。

    このような傾向は、紳士たちのみならず、他の作品の人物たちにもしばしば見られます。先ほど例を挙げたのが、『双子の星』のチュンセ童子とポウセ童子、そして『オッペルと象』の白い象でした。

    このような、目の前の言葉の正しさを信じこむ傾向、そのことで簡単に騙されてしまう傾向を指摘した後、僕自身のエピソードを二つ紹介しました。そして、この点において、宮沢賢治は僕と同じような人間だったのではないかという直感についてお話ししました。

    ここで考察が止まってしまうと、僕のただの自己満足になってしまいそうですが、実はまだ続きがあります。この傾向は、賢治の文学のどこにつながるものなのか、さらに考察すべきことがあります。

    その際、一つ大胆な仮説を採用することにします。宮沢賢治自身も、同種の傾向を持っていたという仮説です。いくつもの作品に、こういう人物が現れるということは、作者の宮沢賢治自身もひょっとしたら似たような傾向を持っていたのかもしれない、という考え方によるものです。

    この仮説は、検証しようとするとかなり大変ですが、ここでは思い切ってこの仮説を認めてしまいます。この仮説の上に立つと、どのような風景が見渡せるようになるのでしょうか。

 

一つの言葉から、物語が生まれる

    少し寄り道をします。
    宮沢賢治の童話を読んでいて、おもしろいなと思うことがあります。それは、何気ない一つの言葉から、一つの物語の成立につながっているような現象です。いくつか例を紹介しようと思います。

 

『どんぐりと山猫』

    まずは、『どんぐりと山猫』という作品です。この作品では、一郎という主人公が、裁判長である山猫の依頼を受け、どんぐりたちの裁判に立ち会っています。ここで、どんぐりたちは、自分たちのうち誰が一番えらいどんぐりかについて、次のような言い争いをしています。

「いえいえ、だめです。なんといったって頭のとがってるのがいちばんえらいんです。そしてわたしがいちばんとがっています。」
「いいえ、ちがいます。まるいのがえらいのです。いちばんまるいのはわたしです。」
「大きなことだよ。大きなのがいちばんえらいんだよ。わたしがいちばん大きいからわたしがえらいんだよ。」
「そうでないよ。わたしのほうがよほど大きいと、きのうも判事さんがおっしゃったじゃないか。」
「だめだい、そんなこと。せいの高いのだよ。せいの高いことなんだよ。」
「押しっこのえらいひとだよ。押しっこしてきめるんだよ。」もうみんな、がやがやがやがや言って、なにがなんだか、まるで蜂の巣をつっついたようで、わけがわからなくなりました。

    ちっちゃなどんぐりたちが、口々に言い合いをしているのですが、このうち〈背の高いものが一番だ〉というセリフに注目してみてください。これはどこか、「どんぐりの背比べ」ということわざを思い起こさせるものです。ひょっとしたら宮沢賢治は、「どんぐりの背比べ」という言葉を、ただ人間世界の出来事を表す比喩として捉えるのではなく、その言葉が指し示す内容そのものを思い浮かべていたのかもしれません。つまり、「どんぐりの背比べ」という言葉を、平凡な者同士の争いを表す語として受け止めのではなく、実際にいろんなどんぐりたちが背比べをしているところをついつい思い浮かべてしまったのかもしれません。どんぐりたちが背の高さや、他にも大きさや丸さなど様々な点でお互いに競い合っている場面を想像し、それが『どんぐりと山猫』におけるどんぐりたちの裁判、ひいては『どんぐりと山猫』という物語の成立につながったのかもしれません。

    ちなみに、賢治は二十八歳の時にイーハトヴ童話『注文の多い料理店』を刊行しています。これは、『どんぐりと山猫』も含んだ童話集ですが、その序文で、「ほんとうにもう、どうしてもこんなことがあるようでしかたないということを、わたくしはそのとおり書いたまでです。」としみじみ語っています。この言葉は、『どんぐりと山猫』の上のような場面において、まさにぴったり当てはまっているように思います。

 

さるのこしかけ

    続いては、『さるのこしかけ』という作品です。主人公の楢夫が「さるのこしかけ」という白いきのこを眺め、小猿たちの姿を想像していると、ほんとうに小猿があらわれて、楢夫を小猿たちの世界へと誘い込んでいくという場面が冒頭にあらわれます。

    この作品では、「さるのこしかけ」というきのこを眺めた楢夫は、何の違和感もなく「これは小猿たちが腰かけるものだ」と思いこんでおり、果たしてその後小猿たちが姿を現していますが、これはもちろん賢治の創作によるものです。「さるのこしかけ」というのは本来、猿とは何の関係もないサルノコシカケ科やその近縁のきのこの総称です。

    以降は僕の推測ですが、賢治はおそらく「さるのこしかけ」という名称を、ただきのこの名称を表す言葉として受け取ることができず、思わず実際に猿たちがそのきのこに腰掛けているところを想像してしまったのではないでしょうか。その想像が『さるのこしかけ』の最初の部分の場面につながり、そこから『さるのこしかけ』の物語が生まれたのかもしれません。楢夫のセリフの中に見られる、「ははあ、これがさるのこしかけだ。けれどもこいつへ腰をかけるようなやつなら、すいぶん小さな猿だ。そして、まん中にかけるのがきっと小猿の大将で、両わきにかけるのは、ただの兵隊にちがいない。…」という思索は、そのまま賢治自身の思索をあらわすものだったのかもしれません。

 

『カイロ団長』

    最後に、前回の連載でも紹介した『カイロ団長』について、簡潔に紹介しておきます。この作品では、とのさまがえるの経営する酒屋にあまがえる三十匹がやってきて、とのさまがえるにおだてられ、「舶来のウエスキー」をたくさん飲んでしまいます。その後、お会計を済ませるお金がなかったため、彼らは弱みを握られ、とのさまがえるの家来にさせられてしまいます。そして彼らは、単調な仕事を朝から夕方までさせられるようになります。

    ここで注目したいのが、「とのさまがえる」と「あまがえる」という名称です。これらはカエルの名称にすぎないものですが、ここでもやはり、宮沢賢治は単にこれらをカエルの名称として捉えるだけでなく、「とのさまがえる」がほんとうに殿様になっているところをつい思い浮かべ、「とのさまがえる」と「あまがえる」が主人と家来の関係になっているところを想像してしまったのではないかと思われます。これが全てではないにせよ、「とのさまがえる」と「あまがえる」という名称が、この『カイロ団長』の童話の世界が開けていくことの一つのきっかけであったのかもしれません。

 

一つの言葉から物語が生まれること

    以上のように、賢治の童話では、何気ない一つの言葉から、たちまち童話の世界が立ち現れてくるような現象がしばしば見受けられます。特に、その言葉の常識的な意味ではなく、言葉そのものが表す内容を思い浮かべる傾向があったようです。例えば、「どんぐりの背比べ」という言葉を、平凡な者どうしの比較としてではなく、色んなどんぐりたちが背比べをしている様子として捉える、といった具合です。

    そして、ようやくこの文章の本題に戻っていくのですが、このような一つの言葉が物語を生み出すという現象の鍵となるのが、先ほどまで述べていた、〈目の前の言葉の正しさを信じて疑わない〉という傾向ではないかと思います。この傾向は、先ほどの場合は、素直すぎて簡単に人にだまされてしまう人物の造型として現れていましたが、もしこの傾向が賢治自身にも当てはまるものだとすれば、この傾向は彼が童話作品を生み出すときに彼の中で生き生きと働いていたのではないでしょうか。例えば、「どんぐりの背比べ」という言葉を、そのまま信じ込んだからこそ、色んなどんぐりたちがわいわい騒いでいる場面が思い浮かび、『どんぐりと山猫』の成立につながったのでしょう。こういう傾向があったからこそ、彼の眼前には一つの言葉からたちまち一つの物語が立ち現れてきて、それが童話の制作につながっていったのではないかと思えてなりません。

    もしそうだとすれば、賢治は、〈目の前の言葉の正しさを信じ込む〉という傾向のせいで、実人生の中ではひょっとしたら僕のエピソードと同じような困った経験もあったのかもしれません。ですが、こういう傾向の持ち主だったからこそ、彼は心温まる童話作品の数々を生み出すことができたのではないかと、そう思えてなりません。賢治自身がどのぐらい自覚していたかはわかりませんが、結果的には、童話制作においてこの傾向を比類ない形で活用していたのではないかと思われます。

 

おわりに

    以上、『注文の多い料理店』の中に見られる、「紳士たちが、扉の指示書きを信じ込んでしまう」という謎に目を向け、他の作品も参照し、彼らは目の前の言葉を信じ込んでしまう傾向があるということを指摘しました。そして僕自身の類似の経験も紹介しながら、賢治という一人の人間の謎にまで話を広げてきました。謎が解けたとは到底言えませんが、この謎のおかげで、生まれた作品が多くあるのではないかという意見にたどり着けたことは一つの成果だったと思います。

    僕の体験を交えて論を進めることについては、少し違和感を持った方もいるかもしれませんが、宮沢賢治と僕自身とを重ね合わせたからこそ、たどり着ける境地があるだろうと思った上でのことなので、ご理解いただければと思います。

    当連載では、本当は全部で六つぐらい謎を用意したかったのですが、作品の方から自らの存在を語り掛けてくれたような謎は、全部で三つしか見当たりませんでした。しかも、その三つ目の謎は、解決のしようがなかったため、これ以上文章を書くことはできないと判断しました。そのため、この連載は、前回と今回の全二回で終了となります。

    なお、三つ目の謎について、せっかくなので紹介するだけしておこうと思います。「注文の多い料理店」の扉の色はなぜあれほどカラフルなのか、という謎です。その一部をリストアップすると、はじめの硝子戸の表・裏の文字は「金文字」。一つ目の扉の表は「水いろのペンキ塗り」の上に「黄いろな字」。二つ目の扉の表は「赤い字」、三つ目の扉の表は「黒い扉」、五つ目の扉の表の前に「金ピカの香水のびん」、裏側には「立派な青い瀬戸の塩壺」。さまざまな色が、単色でいきなりあらわれています。一見、特に秩序が見当たらないようですが、全てがでたらめというわけでもないみたいです。しかも、賢治の他の作品にも同種の現象がしばしば見られます。考察に値する謎だと思ったのですが、考察を進める手掛かりがまるでないので、諦めることにしました。

    さて、この連載では二回しか書いていないわりに、けっこう疲れたなと感じました。今回の執筆の合間に小林秀雄『モオツァルト』を読んでいたのですが、その中の「謎は解いてはいけないし、解けるものは謎ではない。」という一節に出会ってしまい、はっと思い当たることもあり、しばらくの間気が滅入ってしまいました。しばらくは執筆が億劫になっていたのですが、やがて気を取り直して執筆を再開しました。結局、なんとか文章を完結することができ、一安心しています。

    でもやはり、謎なんてめったに解こうとするものではないということが、前回と今回の執筆を通して少し実感できたように思います。謎が解けたと感じられた時でも、何か開けてはいけない扉を開けてしまったような気分になりますし、謎が解けなかったとしたら、その謎に気を取られたままということになりかねません。

    今後は、謎に立ち向かおうとすることもほどほどにするだろうし、「『注文の多い料理店』の謎を解く」なんていう大仰な題をつけることも無くなっていくだろうと思います。


本文
宮沢賢治谷川徹三編『童話集 銀河鉄道の夜 他十四篇』岩波文庫、一九五一年
注文の多い料理店』・『オッペルと象』・『どんぐりと山猫』
宮沢賢治谷川徹三編『童話集 風の又三郎 他十八篇』岩波文庫、一九五一年
『カイロ団長』
宮沢賢治『新編 銀河鉄道の夜新潮文庫、一九八九年
『双子の星』
宮沢賢治注文の多い料理店新潮文庫、一九九〇年
さるのこしかけ

(山下純平)

『こだま』創刊号

    こんにちは、東京大学読書サークルこだまです。

    先月に発行した『こだま』創刊号の文章を、はてなブログで公開することにしました。

    目次は以下の通りです。

 

活動紹介

読書班 活動紹介……………………………………………………橋詰和直
https://kodama-echo-reading.hatenablog.com/entry/2020/05/14/182249

創作班 活動紹介……………………………………………………山下純平
https://kodama-echo-reading.hatenablog.com/entry/2020/05/14/182311
 

本編

読書班
溶け合う ―川端康成『伊豆の踊子』を読んで― ……………村上めぐみ
https://kodama-echo-reading.hatenablog.com/entry/2020/05/14/182000

旅としての小説 ……………………………………………………大島一貴
https://kodama-echo-reading.hatenablog.com/entry/2020/05/14/182018

人間の根源を問うこと ―ゴーギャン・夏目漱石の紹介………山下純平
https://kodama-echo-reading.hatenablog.com/entry/2020/05/14/182039

 

創作班
『注文の多い料理店』の謎を解く ………………………………山下純平
https://kodama-echo-reading.hatenablog.com/entry/2020/05/14/182427

『夢日記』 …………………………………………………………村上めぐみ
https://kodama-echo-reading.hatenablog.com/entry/2020/05/14/182447

 

編集後記 ……………………………………………………………村上めぐみ

https://kodama-echo-reading.hatenablog.com/entry/2020/05/14/182506

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『こだま』創刊号 表紙

 

こだま 創刊号

2020年4月5日 発行

著者:大島一貴, 橋詰和直, 村上めぐみ, 山下純平

編集:村上めぐみ

発行:東京大学読書サークルこだま

Email: ut.shohyo@gmail.com

Twitter: @kodama_reading

 

PDFファイルはこちら

https://drive.google.com/open?id=1_RZv-5JMXMg0_N7XghNtmlLQM5YFlqIM

創刊号 編集後記

    表紙の写真は、2019年7月13日、新宿御苑にて撮影。なかなか明けない梅雨。穏やかな雨が、水面に次々と丸い水紋を広げていくのを、見ていた。言葉にできないくらい美しい景色。それを言葉にした時、きっとこぼれ落ちてゆくものはたくさんある。言葉にしたことで、記憶の色合いが変わってしまうこともある。言葉にする正しさも、言葉にしない正しさも、どちらもあると信じたい。それでもあえて言葉に手を伸ばす時、必要なのは、指の隙間から、何かが零れてもいいという覚悟ではないか。何か一つ零れ落ちても、別の大切な何かを掬い上げることができたなら構わないという信念ではないか。そんな覚悟と信念をもって言葉に手を伸ばしてきた先人たちの足跡を辿る。生き様を辿る。「こだま」が、言葉を紡ぐ人と、言葉を辿る人との、架け橋になりますように。(村上めぐみ

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創刊号 表紙

 

『夢日記』

    その夢を見たのは、打ち上げ花火を見た日の夜だった。

 まわりは真っ暗で、暗闇に慣れた目が辛うじて地面の輪郭を捉えていた。私は山奥にいた。山、と言っても、草木が生えている様子はない。ゴツゴツした黒い地面を見つめながら、星を見ようと歩いてのぼってゆく。視界が開け、そこに宇宙が現れた。真っ黒な頭上に、手で触れられそうなくらい近くに、星が、銀河が、星雲が、漂っていた。星空と呼ぶには、あまりにも宇宙だった。いつか教科書で見た、望遠鏡から覗いた天体の写真を思い出す。目と鼻の先を、小さな流星が滑っていく。ジジジ…と音を立てながら、彗星が暗闇を切り裂く。小さくて色鮮やかな銀河たちは、シュルシュルと音を立て絶え間なく渦巻いていた。星のまわりにパチパチと火の粉が散る。それは宇宙であると同時に、深海の生き物たちを見ているようでもあった。昔地学の授業で見た。何億年も前の深海で、奇妙な形をした小さな生命体がうごめく映像を。

 ぴちゃぴちゃという水音がして、ハッとして見ると、山を登ってきたはずの私の足元には階段があって、なだらかな階段のすぐ下に、黒い水が横たわり、波が静かに打ち寄せていた。頭上には依然として宇宙が広がっている。その時、誰かに呼ばれた気がして、私は後ろを振り返った。誰もいない。しかしなんとなく居心地が悪くて、その場を立ち去ろうとした。数歩歩いたところで振り返ると、さっきまで私の立っていた階段に男の子がいた。小柄な彼はヘッドフォンをつけて、真っ黒なコートに身を包み、波打ち際に立って宇宙を見上げていた。それは、私がよく知る友人の後ろ姿だった。

 シュルシュル、パチパチ、ジジジ──…星がうごめく音を聞きながら、私はこの光景に既視感を覚えていた。『星の王子さま』だ。王子さまが、地球に降り立って荒野を歩き、高く聳え立つ尖った山々のてっぺんに座って、人っ子一人居ない砂漠を見つめる。

    こんなに広いのに、誰もいない──。

    友人の寂しげな後ろ姿に向かって、私は彼の名前を呼んだ。今にもどこかに消えてしまいそうだった。黒く澄んだ目をした彼が、ゆっくり振り向く。その時、私の意識は白く冷え固まり始めた。手繰り寄せた糸を手放してしまったようなもどかしさの中で、夢であったことに気づく。気づいたときには、もう遅いのだ。シュルシュル、パチパチ、ジジジ──…。生暖かい布団の中で、星が、宇宙が弾ける音だけが、やけに耳に残っていた。


Antoine de Saint-Exupéry « Le Petit Prince »
ならびに 宮沢賢治銀河鉄道の夜』に寄せて。

 

(村上めぐみ)