東京大学読書サークルこだま 公式ブログ

東京大学読書サークルこだまの公式ブログです。部誌『こだま』に掲載している文章などを公開していく予定です。

夢十一夜

    こんな夢を見た。

 立て付けの悪い硝子戸をがらがらと開けると、既に電気が点いていた。何でも余程古い家らしく、畳や襖から生じた一種の香りが鼻を抜ける。何処かで見た風景だと思ったら、自分が幼少の頃によく連れて行かれた田舎の伯父さんの家だと解った。

 何をするともなく三日三晩ほど過ごしていると、見知らぬ男が居間に出入りしている事に気が付いた。

 誰だか判然としない。酔っても居らぬのにふらついている。見た事があるような無いような心持ちがし、何故だか頸の横に冷たい刃物を当てられたような汗を掻いた。男は自分と目が合うと、まるで知った顔の如く挨拶を寄越した。それで此方も挨拶をし返しておいた。妙な男だ。

 四日目の晩、炬燵へ入ろうと暗い廊下を歩く最中、自分は伯父さんの遺影と目が合った。すると遺影の中の肖像が例の見知らぬ男に見えて来た。

 じっと目を合わせていると又思い出した。伯父さんは今から随分と前に亡くなっている。そうしてその遺影には百合の花が捧げられていた。百合はとうの昔に枯れていたが、自分はそれを美しいと思った。

 二階へ上がると、それぞれの部屋に衣服が脱ぎ散らかされている。然し上着やシャツのボタンは閉じられたままであって、着ていた人の体だけがするりと抜け出て消えて仕舞っていた。大体自分はこの家に二階の在る事を生まれて初めて知った。又ひやりとする。

 玄関口には例の男が矢張り来ているらしい。
「おうい、二階に居るのかね」
「おります」
「そんなら降りて来て呉れるか。将棋盤を運ぶのを手伝って欲しいのだ」

 その将棋盤は普通のより格段に重く、男一人では運べないらしかった。自分は断る理由も無いので男の言う通りにし、さっき見た妙な衣服に就いて尋ねようと思ったが、機を計るうちに将棋の対局が始まって仕舞った。

 将棋の駒一つ一つさえ大変重い。歩兵を前進させるにも苦労した。その歩兵には何故だか伯父さんのような面影があった。歩兵を進める。パチという音が鳴り、自分の心臓も高鳴る。

 そうして自分の番が終わった時、目の前の男は憐れむような目で此方を見ていた。そこに伯父さんの面影は一つも無く、ああ良かった、この男は伯父さんでは無かったのだ、と大いに安堵した。男は桂馬を好んだ。桂馬が成って金将になって仕舞うのを無闇に拒んだ。

 将棋が終わった夜には自分の友が遣って来た。友は何か必死な形相で此方に話し掛けて来るのだが、自分には何も聞こえない。将棋の駒のパチパチいう音が頭の中で反復されるばかりだった。

 仕舞いには友人の顔が香車の駒のように見え、何処かへ一直線を描いて走り去って呉れれば良いが、と思った。実際その友人が泊まっていた部屋を見ると、朝には衣服だけが残っており、自分はそれでこそ香車だと感心した。頭の中のパチという音はどんどん大きくなる。

 そんな調子で時が経ち、例の男と百度目に将棋を指した時、何やら自分の盤から香車がいなくなっていた。自分が伯父さんのようだと思った歩兵の駒も消えていた。

 やがて駒は悉く跡形も無くなり、目の前を見ると例の男も眼前からいなくなって、自分は一人で将棋盤を見つめ続けた。

 そうしているうちに、見知らぬ小僧が立て付けの悪い硝子戸をがらがらと開ける音がした。姿を見る前から何故だか小僧だと解った。ああ、自分も百年前はこんな小僧だったな、と思いながら将棋盤を片付け始めた。駒は又きちんと一揃いになっており、一対の桂馬が静かに此方を眺めていた。

(大島一貴)