東京大学読書サークルこだま 公式ブログ

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鑑賞 「わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと人にはつげよ海人の釣り舟」

はじめに

この文章は、国文学の古今和歌集のゼミにて、小野篁「わたの原」歌を取り上げて発表をした際におまけとして書いた、個人的な文章です。流罪に処せられた小野篁の心境に思いをはせ、出立の際の情景を思い浮かべながら鑑賞文を書いてみました。

「わたの原」歌が詠まれた経緯を簡単に説明しておきます。小野篁は、遣唐副使に任命されるも、破損した船に乗せられることを嫌って出航を拒否し、政治を諷刺するような歌をつくりました。やがて、朝廷の協議により篁の隠岐への流罪が決まります。そして隠岐島に向けて船を出発するに際して、この「わたの原」歌を詠んだとされています。

まずは、古今和歌集に収録されている本文と、私訳を紹介します。その後、「わたの原」歌の鑑賞文を掲載します。

 

本文

隠岐の国に流されける時に、船に乗りて出でたつとて、京なる人のもとにつかはしける

わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと人にはつげよ海人の釣り舟

古今和歌集 羇旅四〇七 小野篁朝臣

〔私訳〕
大海原の、無数の島々に向けて舟を漕ぎ出してしまったと、人には告げてくれ。海人の釣り舟よ。

 

鑑賞

茫漠たる海原の中に、多くの島とすこしの釣り舟が浮かんでいるが、どれも点描のようにかすかな存在である。漢画の景色を想起させるような、寂しい情景である。都とはかけ離れた世界に向かいつつあると実感されたことだろう。

視界に見える島々は、大海の中にぽつりと浮かぶ小さな島ばかりである。どれも孤島という表現がふさわしい。まれに群島をなすことはあっても、決して陸続きになることはない。まるで、人間の孤独な姿そのものと対峙しているような、寂しい島の様子である。


自分の発言や行動に端を発したことではあるが、中央政界の目まぐるしい変転に見舞われ、今に至る。かつて帝に気をかけてもらい、広く学識を認められていた篁は、海人たちがわびしい生活を送る、海原にたどり着いている。そしてまもなく、さらに人気の絶えた土地へと向かいつつある。人々はどんどん遠ざかっていく、世の中は自分とかけ離れたものとなっていく。

そうした境遇にあって、篁は、人間界そのものと別れを告げるような心境にいたる。かつて自分がもてはやされた夢のような世界との別離の悲しみ、直言が戒められる理不尽な世界から離れることの清々しさ、かすかな親交のあった人々に対する絶えがたい愛惜の念。これらさまざまな心情が、次々と篁の心中にこみ上げてくる。というより、あらゆる方向に向かっている無数の心情同士が一種の均衡状態に入り、一つの沈黙として実感されるのだろう。表現することの無力さが身にしみて感じられるような心境ともいえよう。


やがて、篁の舟は海辺を出発する。いよいよ配所である隠岐に向かって瀬戸内海を進んでいくのだが、航路やら行き先やらといった事柄は、いまの篁にとっては何の意味もなさないだろう。ただ、自分が、遠く離れた地に向かいつつあるということが、おぼろげに感じられるばかりである。すでに自分の意識は、大海原の中に溶け込んでいくような、朦朧としたものになりつつある。眼前の多くの島々やいくつかの海人の釣り舟が、一つの大海原の中に溶け込んでいるように、篁の意識も、この大海原に身を任せようとしている。篁はもはや抵抗しようとはしない。それどころか、自分という存在が大海原に呑み込まれていくことに、陶然と、一種の快い感覚を味わっているほどである。

こうした朦朧たる意識のなか、篁はようやく一つの和歌を詠ずる。「わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと人にはつげよ海人の釣り舟」。島々が自分のそばを流れてゆく、海人の釣り舟が遠ざかっていく。この舟は、もう〈漕ぎ出してしまった〉のである。後戻りはできない。自分は、人間界を離れ、どこか遠いところへと連れられて行くのである。だが、不思議な事に、後悔の念はほとんど感じられない。それだけではない。もはや、この和歌によって何事かを表そうという気持ちは、微塵も残っていまい。むしろ、この和歌の言葉の周囲を取り囲む、果てしない広がりを持つ沈黙そのものを表している。そもそも人間になしうることは、言葉を通して何事かを表現することではなく、言葉の周囲を包み込む豊かで厳然たる沈黙をあらわすことに過ぎない、という考えも起こる。


彼の舟は進みゆき、目の前の海原に浮かぶ数々の釣り舟の一つとなっていく。そうして、水平線のかなたに姿を消す。海原は元の通り、静寂が辺り一面を支配している。