東京大学読書サークルこだま 公式ブログ

東京大学読書サークルこだまの公式ブログです。部誌『こだま』に掲載している文章などを公開していく予定です。

英国ミステリの世界 〜『カササギ殺人事件』書評〜

カササギ殺人事件』 アンソニーホロヴィッツ(著)/山田蘭(訳) 創元推理文庫

f:id:kodama_echo_reading:20200630171017j:plain
f:id:kodama_echo_reading:20200630170957j:plain
画像:版元ドットコムより

王道の英国ミステリと現代ミステリを掛け合わせたストーリーが二巻の小説にぎゅっと凝縮されており、読者のミステリ欲を余すところなく満たしてくれる。本作はアガサ・クリスティのオマージュ・ミステリですが、クリスティのファンもそうではない人も楽しめる力作です。


本作は上巻と下巻で物語のテイストが違うので、それぞれに分けて感想を述べようと思います。


まず上巻は、20世紀中葉のイギリスの田舎町の豪邸で起きた殺人事件に、名探偵アティカス・ピュントが挑むというストーリーです。田舎町サクスビー・オン・エイヴォン、パイ一族とその豪邸、愛の冷めた夫婦、家政婦、遺産、盗まれた毒薬、牧師とその妻、結婚を反対される若いカップル。そして探偵ピュントとその助手ジェイムズ・フレイザー。このほかにもミステリの王道の要素が詰まっていて、思い浮かべただけで興奮してしまうような、ミステリ好きにはたまらない設定の中事件が起こります。本作とアガサ・クリスティの作品両方に言えることですが、このような英国ミステリでは生活の描写や街の描写も多いので、私たち日本人が読むとまるでイギリス旅行に行ったかのような異国情緒を味わえることも魅力の一つでしょう。

そして何よりも私が感動したのは、本作がアガサ・クリスティのオマージュ・ミステリになっているという点です。探偵アティカス・ピュントはドイツ人で、これは作中にもある通り、ベルギー人のポアロをモチーフにした人物設定です。町に一つしかない牧師館に、牧師とその妻が住んでいるという設定は、ミス・マープルシリーズの『牧師館の殺人』を彷彿とさせ、遺産相続の問題が出てくるところも、クリスティのシリーズでたびたび遺産が殺人の動機になっていたことを思い出させてくれました。そして葬式のシーンで出てくるカササギの数え唄はもちろん、『そして誰もいなくなった』に出てくる「10人のインディアン」がモチーフとなっているのでしょう。私はこのカササギの数え唄の部分を読んだ時、思わず声を上げて歓喜してしまいました。本作の描く世界はまさしくアガサ・クリスティの世界であり、筆者がこれからどんな部分でクリスティの作品に寄せてくるのか、これからの展開にとてつもなくワクワクしたからです。


上巻でクリスティの世界を堪能しつつ、さあ下巻で謎解明だ、と思って下巻のページを開くと、登場人物の一覧に今まで登場しなかった人物たちがずらりと並んでいます。そして物語はテイストを変えて展開していきます。


実は、本作の上巻の冒頭は、アラン・コンウェイという作家の書いた「カササギ殺人事件」の原稿を編集者スーザンが読み始める、という場面から始まっています。そして上巻の残りは「カササギ殺人事件」の内容です。下巻は原稿の結末部分が欠落していることに気がついたスーザンが困惑するなか、作家のアラン・コンウェイの死のニュースを受け取る、という場面から始まります。そして欠落した原稿の結末部分を追い求めてスーザンの謎解きが始まるという展開です。

そしてここからは、スーザンがアランの死と消えた原稿の結末部分の謎に迫っていきます。舞台は上巻とはうってかわって現代で、登場人物も一新してしまいますが、上巻の「カササギ殺人事件」の内容と現実の世界の関連が多く、小説を手がかりに現実の謎を解く、という設定がたまらないものとなっています。主人公が探偵ではなく編集者である、という点も視点が新鮮で面白いです。

物語が展開していくなか、アラン・コンウェイが抱えていた作家としての悩みが明らかになっていく場面も印象的でした。作家が本当に書きたいものと世間が求める作品の乖離、という悩みは本作の著者やその他の多くの作家が感じていることなのでしょうか。この部分は本作の中で少し暗い部分でしたが、作家の人生という深いテーマに触れているようで、本作が単純な娯楽小説にとどまらないように感じました。


以上、上巻と下巻の感想を述べてきましたが、本作全体としての良さもあります。表紙にもある通り、本作はアガサ・クリスティのオマージュです。しかし、ミステリをめぐるミステリという下巻の内容によって、この作品は単なるオマージュではなく、筆者独自の発想による新鮮なものとなっています。この作品が世界的に話題になった理由はそこにあるのでしょう。さらに、上巻と下巻で話の内容はガラッと変わりますが、上下巻の内容を筆者が巧みに関連させ、全体として不調和にならず、楽しめる作品となっていることです。豪邸で起きた殺人事件、消えたミステリの原稿、作家の死、とにかく謎に満ちた作品です。そして何より英国ミステリの世界をたっぷりと味わえる点が魅力です。ぜひ手にとって欲しいですし、本作を読んだ後、アガサ・クリスティを読んだことのない方ならぜひクリスティの作品を読んでみてください。私も数えるほどしか読んだことがありませんが、素晴らしい世界が広がっていますよ。